今、再び、大ブレイクしている昭和の大政治家、田中角栄。昭和について連想するキーワードでは、昭和天皇に次いで第2位という存在感を示した田中角栄は、かつては「ま、このぉ~」という特徴的な口癖でモノマネでも有名でした。しかし、結果として田中角栄が何をしようとしていたのか?
そうなると、簡単に説明できない人が多いのではないでしょうか。そこで、はじさんでは、読んだら納得、角栄が日本に残した功績をお送りします。
この記事の目次
貧乏人の小卒から這い上がった平民宰相の悲願
田中角栄を特徴づけているのは、その生まれの貧しさです。日本の最貧県の一つ、豪雪地帯の新潟に生まれ、父親の事業の失敗で極貧の暮らしを送った角栄は、成績優秀だったにも関わらず、家の為に中学への進学を断念せざるを得ませんでした。後には総理大臣にまで上り詰めた彼の最終学歴は、高等小学校卒、そこから角栄は、日本から貧乏を無くすという事を生涯の念願にします。庶民の貧しさに同情し、世直しに立ちあがるというのでは、劉備や関羽、張飛などとも似たような所がありますね。
日本列島改造論の意味とは?
田中角栄と言えば、日本列島改造論という言葉が有名です。これは著書にもなり、それも91万部というベストセラーになりますが、その中で、角栄が掲げたのが、日本列島全体を新幹線、高速道路、本州四国連絡橋のような交通網で緊密に結んでいき、都心の肥大化を防ぎ地方との経済格差を解消するという事でした。
1972年当時の日本は、まだ道路網の整備が、地方で進んでいないので地方の若者人口が都心に流入して、地方の人口減少が起きていました。この原因が進まない交通網整備にあると考えた角栄は、国を挙げて、一気に交通網を整備する事をぶち上げます。
角栄の構想では、日本を南北に分けて、北を工業地帯、南を農業地帯にして、効率的に発展させる事になっていました、角栄は、構想実現に自信を見せ、
「間もなく、新潟は工業化して東京から出稼ぎ者がどっと押し寄せますッ!」
と地元で角栄節を披露した程でした。
これは、三国志で言えば、曹操が実施した屯田制度にも匹敵します。それまで辺境でしか行われていなかった屯田を内陸の荒れ果てた土地で行い曹操は、豊かな沃野を取り戻す事に成功しています。なによりそれは、飢えて野盗のように放浪し暮らしていた人々を安住させたと言う点で、非常に価値があります。
予想に反して頓挫した日本列島改造論・・
しかし、角栄が大々的に日本列島改造論をぶち上げた結果、道路建設予定地、新幹線建設予定地や、その周辺都市では、土地の買い占めが白熱するようになります。高速道路、新幹線の通過地点は大発展する事が約束されたようなものだからです。その結果、物価までもが急激に上昇するようになり、これに対して政府はあわてて、物価安定七項目を出して、インフレーションの対策に乗り出しますが、土地への投機は止まず、政策はあまり効果を上げません。
その中でも政府は、日本列島改造の目玉である、建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画に各地の国会議員の陳情を盛り込みつつ、1972年11月に運輸省告示で新幹線11路線の敷設と本州四国連絡橋の基本路線が決定します。
しかし、同年、第四次中東戦争が勃発、石油輸出国機構が、イスラエルを支持する米国の同盟国である日本への石油卸売価格を吊り上げました。これにより、日本列島改造のインフレに石油高騰が乗っかり、狂乱物価と言われる激しいインフレが発生、田中内閣も、この状況で交通網整備を行う事は出来ず、政府の公共投資は縮小されて、計画には遅れが生じます。
田中金脈問題で内閣は総辞職・・
さらに昭和49年の12月には、フリージャーナリストの立花隆が、文芸春秋誌上で「田中角栄研究―その人脈と金脈」を連載、田中角栄の金銭スキャンダルを暴くと、それが外国報道陣に知られる事になり、さらに逆輸入される形で日本でも大騒動を巻き起こします。これにより角栄は辞職を余儀なくされました。強力な旗振り役の失脚で日本列島改造論は下火になります。
1980年には、国鉄再建法により、赤字鉄道の廃線と統合が進むようになり、新幹線の開通も棚上げ状態になってしまいます。一方で高速道路だけは、道路特定財源で着々と建設されるようになり、その地方負担分が地方財政を圧迫するようになりました。現在の地方財政の赤字は、この高速道路の維持管理費が原因になっています。
日本列島改造論の功罪
田中角栄の政府が主体になった交通網の整備は一定の成果を生み出します。地方から首都圏へのアクセスが容易になり、都心の文化や商品が、ほぼ、タイムラグなく地方まで届くようになりました。
ところが、一方で、首都と地方のアクセスは便利になっても、地方と地方の交通網の整備は後回しにされたので、地方都市の人材やモノ、金が逆に首都に流れるというストロー現象も発生するようになってしまいます。それまで過疎化しているのは地方でも辺境でしたが、都心と地方都市がアクセスした結果、地方都市からも首都圏に人口流入が発生して首都一極集中は、日本列島改造によって、より酷くなったという識者もいます。
しかし、日本列島改造の結果、遅れていた高速道路網の整備が進み、現在本州は、新幹線と高速道路の発達で、スムーズな物流が実現しました。
「日本中を交通網で緻密に結び付けて経済格差を減らし貧乏を無くす」
角栄の望みは中途半端な形とはいえ、国民生活の向上に貢献したと言えます。
三国志ライターkawausoの独り言
さて、田中角栄の恩恵と言えば、実は、サイトを見ているあなたも受けています。日本列島改造には、情報回線通信網の全国的な整備も含まれました。
これも、いずれ情報化社会が来るという角栄の先見の明です。こちらは、何とか成功して、日本中に回線通信網が張り巡らされ、それは1985年の電電公社の民営化により、民間ネットワーク利用者の招来に繋がりました。1990年以降に本格化するインターネット通信事業は、実は田中角栄が推進した情報回線通信網の整備が元になっているのです。こちらの方がネット回線を利用している人にはスゲー感が強いですかね。
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