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狂気!我が子を後継者にしなかった夫への報復!袁紹の愛人5人を切り刻んだ劉氏の怨念

2016年7月18日


 

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劉氏

 

劉氏(りゅうし)は、曹操(そうそう)と天下を競った、

四世三公の名門、袁紹本初(えんしょう・ほんしょ)の妃です。

袁熈(えんき)、袁尚(えんしょう)という袁紹の二人の息子を産んでいます。

袁紹の長男にあたる袁譚(えんたん)は若い頃に養子に出された事から

これは、劉氏に男児が生まれて袁紹が安心したからかも知れません。

そう考えると、袁譚は側室の子であり、劉氏が正室であったのでしょう。

 

関連記事:官渡の戦いで袁紹が勝っていたら三国志はどうなっていたの?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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袁尚は、眉目秀麗で袁紹に愛される しかし・・

袁紹、袁尚、袁譚

 

劉氏の二番目の子である袁尚は、父の袁紹に似て立派な容姿を持ち、

母の劉氏に似て、眉目秀麗でした。

袁紹も袁尚を特に可愛がり、密かに袁譚を差し置いて、

自分の後継者と目していたと言われています。

ところが、袁紹は死ぬまで後継者を指名する事はありませんでした。

 

袁譚派と袁尚派で袁家は揉めていた・・

袁紹の妃03 袁紹

 

それには、深刻な袁紹家臣団の確執が存在していました。

優柔不断で決断力を欠いていた袁紹は家臣の意思統一が出来ず、

郭図(かくと)と辛評(しんぴょう)は袁譚を後継者にしようと運動し、

逢紀(ほうき)と審配(しんぱい)は、郭図に対する個人的な恨みもあり、

袁尚を推していました。

 

このような中では、袁紹も家臣団を分裂させるような事は

うっかり言えず、「まあ時期を見て・・」と考えている間に

急死してしまったのです。

 

息子を守り後継者にしたい・・母の愛が劉氏を修羅に変える

袁紹の妃04 劉氏、袁尚

 

劉氏の焦りと優柔不断な夫、袁紹への恨みは激しいものでした。

なかなか息子を後継者と決めない癖に女遊びは相変わらずで

袁紹には五人の愛妾が存在していたと言われます。

 

劉氏の年齢は不詳ですが、息子二人が成人している事を考えると

それなりの年齢でもあったのでしょう。

自分に振り向かず息子を後継者にもせず、女遊びに現を抜かす

夫、袁紹に激しい憎悪を持ったとしても無理はありません。

 

こうして劉氏は、夫に相手にされない寂しさから、

息子である袁尚への盲目的な愛にのめり込みます。

そして息子の為ならどんな事でもする修羅(しゅら)になっていくのです。

 

袁紹死す・・劉氏は世にも残酷な報復劇を行う

袁紹の妃05 劉氏

 

西暦202年、袁紹が死ぬと、劉氏はすぐに行動を起こします。

袁紹の葬儀が終わらない間に、五人の妾を殺してしまうのです。

そればかりではありません。

 

「美しい姿のまま、あの世に送っては、

再び、夫に寵愛されぬとも限らない・・

そうじゃ、、この者達の顔も体もぐちゃぐちゃに切り刻んで、

二目と見られないようにしてしまえ!!

恥ずかしゅうて、夫に再会できないようにしてやろうぞ・・」

 

こうして見るも無残に切り刻まれた五人の妾は、

劉氏の配下により、どことも分らない場所に捨てられました。

恐らく山にでも捨てられ狼の餌にでもなったのでしょう・・

 

自分と息子を顧みなかった夫、袁紹への復讐心が、

その愛妾達に歪んだ形で炸裂した瞬間でした。

 

 

母の命を受けて袁尚が妾の一族まで滅ぼす

 

しかし、いざ妾を残忍に殺してみれば、その一族の報復が怖くなります。

開き直った劉氏は、毒を喰らわば皿までとばかりに愛息の袁尚に命じて、

妾の一族まで滅ぼしています。

 

ところが、ここまでしても、袁尚は袁家の後継者とは決まりません。

異母兄弟の袁譚は反旗を翻し黎陽(れいよう)に駐屯、

みずからを車騎将軍と自称します。

その後、後継者争いに乗じて曹操が黎陽に攻め込むと、

袁譚は、袁尚に援軍を要請しますが、袁尚はこれを拒否します。

ここから兄弟は骨肉の争いに突入していきました。

 

 

劉氏はその後どうなったのか?

 

西暦204年8月、袁尚の本拠地の鄴(ぎょう)は

曹操の猛攻を防げず陥落し守将の審配は捕えられ

降伏を拒否したので処刑されます。

劉氏は、この鄴にいたと思われるので、

ここで捕虜になったのでしょうか?

 

袁家の後継者争いに端を発した袁尚と袁譚の骨肉の争い、、

その浅ましくも哀しい最後を劉氏は、どのように思ったのか、、

この事を伝える史料はありません。

 

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