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袁紹本初(えんしょう・ほんしょ)とはどんな人?曹操の最大のライバル

この記事の所要時間: 2447




袁紹が宦官を惨殺に行く

 

三国志において、最も覇者に近かった男は誰でしょう?

官渡の戦いの以前ならば、それは、紛れもなく袁紹本初の事を意味していました。

有能な家臣と家柄に恵まれ、曹操を苦しめ続けた最大の障壁、袁紹(えんしょう)

この人物の生涯を正史ベースで追ってみましょう。



袁家の名門、袁紹の少年時代

 

袁紹本初(えんしょう・ほんしょ:154?~202年)は、

後漢において四代にわたり、三公を出した汝南袁家に生まれます。

三公とは、司徒(しと)、司空(しくう)、大尉(たいい)を意味し行政職の最高位でした、

今で言えば、官房長官や総理大臣、防衛大臣、財務大臣でしょう。

 

袁紹は、袁成(えんせい)と側室の母との間に生まれますが、

父袁成は袁紹が幼い頃に亡くなります。幼い袁紹は、当時のしきたりに従い、

叔父の袁逢(えんほう:袁術の父)と袁隗(えんかい)に養育されます。

 

ただ、これは魏の王粲(おうさん)の英雄記の記録で、魏書では、

袁成は袁紹の叔父で、袁紹自身は袁逢の庶子という事になっていて、

若くして死んで、子のなかった袁成の家を袁紹が相続したそうです。

正史三国志の註を書いた裵松之(はいしょうし)もどちらが正しいか不明としています。

 

もし、袁逢の実子が袁紹であれば、袁逢の子は袁術ですから、

袁紹と袁術は従兄弟ではなく、異母兄弟という事になります。



20歳で濮陽県長になるも、父と母の死で六年の喪に服す

 

袁紹は、20歳で孝廉に推挙されて、濮陽(ぼくよう)県の県長になります。

県長は、村長クラスの行政長官を意味しています。

 

いかにもエリートらしい恵まれたスタートを切る袁紹ですが、

間もなく母が亡くなったので袁紹は官を辞して三年間の喪に服します。

三年間を過ぎると、今度は父の袁逢が亡くなったので、再び、

三年の喪に服し、六年という長い間、喪に服する事になりました。

 

洛陽に戻った袁紹は高名な人士と交わり人望を集めていく

袁紹&袁術

 

六年の喪が明けると、袁紹は洛陽で、高名な人士と交遊を深めてゆきます。

袁紹は、体が大きく、容姿も立派で威厳もあり、名門でありながら、

交遊を持つ人々の間では、身分の高さをひけらかさず、謙虚でさえありました。

 

その為に家柄も良さも手伝い、少しでも名のある人々は、

袁紹との交際を求め門前には、来客の車が絶える事は無かったそうです。

従兄弟、(または異母兄弟)の袁術は、そんな袁紹の名声に嫉妬して、

事あるごとに、「知ってる?袁紹の生母の身分は卑しいだぜw」と

dis発言を繰り返し、さらに人望を失っていったというのは有名な話です(笑)。

 

物騒な人間も養っていた袁紹は、宦官に嫌われる

宦官 ゆるキャラ 後漢

 

そんな人気を博していた一方で、袁紹はイザと言う時に、

鉄砲玉として働く壮士も大勢養っていたようです。

十常侍で宦官の趙忠(ちょうちゅう)は、そんな袁紹を見て苦々しく思って

口ぐちに宮中で言いふらしました。

 

趙忠「袁逢の倅(せがれ)は、座ったまま名声を買い、命知らずの壮士を

沢山抱えておる、すえ恐ろしい、将来は何をしでかすか分からんぞ」

 

叔父だった、太傅(たいふ)の袁隗は、それを伝え聴き、袁紹に注意します。

 

袁隗「本初、、お前は派手な事をし過ぎる、今から宦官共に睨まれてどうする

わが一族を滅ぼすつもりか!少しは慎め」

 

当時の後漢王朝では、霊帝(れいてい)が宦官を重用しており、

行政の最高職である袁家でさえ、その動向には気を使っていたのです。

 

この事もあり、袁紹は宦官を憎む事尋常では無く、

いつか連中を排除しようと執念を燃やし続けていました。

 

袁紹は叔父の叱責を受けて、考えを変え、今まで拒否していた任官を受けて、

大将軍、何進(かしん)の部下になります。

 

 

 

何進に近づく袁紹は宦官の影響力排除を狙っていた

袁紹と何進

 

何進は、元々は身分の低い屠畜業者でしたが、商売が大成功し、

妹を霊帝の後宮に入れ、子供が産まれるに至って重用されるようになります。

実際には、名門である袁紹にとっては、宦官と同様の成り上がり者ですが、

宦官を激しく憎んでいる袁紹は、これに積極的に近づき、宦官の勢力排除を

考えていたようです。

 

袁紹「国を腐らせる毒虫共、今にみていろ、残らず燻し殺してやるぞ」

 

袁紹は、とんとん拍子に出世をし、侍御史(じぎょし)、虎賁中郎将、

(こほんちゅうろうじょう)そして、霊帝が皇帝直属の近衛兵団、

西園八校尉(せいえんはちこうい)を設置すると一軍を任されて

左軍校尉(さぐんこうい)となります。

 

西園八校尉には、宿敵になる曹操も名を連ねていた

熱血曹操

 

この西園八校尉には、後に宿敵になる曹操(そうそう)も、

典軍(てんぐん)校尉として任命されています。

また、官渡の戦いで烏巣を守りきれず、大敗の原因を造った

淳于瓊(じゅんうけい)も、右校尉として名前を連ねていました。

 

西園八校尉の大将は、宦官の蹇碵(けんせき)でしたが、

何進は、八校尉の大将には、黄巾の乱で手柄を立てた自分が任命されると

考えていたようです、それをただ、乱を傍観していただけの宦官が

大将にされた事で、かなりの不満を持ったと言われています。

 

まあ、それを言いだすと、袁紹も袁術も危険な戦場に出てはいませんし、

何進だって、大将軍として安全な後方で指揮をしただけです。

本当に生命を張り大活躍した曹操は袁紹の部下でしかないのですから、

一番納得できないのは、曹操だったのかも知れません。

 

関連記事:若かりし曹操は熱血漢

関連記事:【曹操孟徳の心に残る名言】姦邪朝に盈ち、善人壅塞せらる

 

霊帝死去、袁紹、宦官を滅ぼそうと策動する

何皇后(毒蛇) 何進

 

西暦189年5月、贅沢と宦官任せの腐敗政治を続けた霊帝が死去します。

後継者は何進の妹、何皇后の産んだ、劉弁(りゅうべん)になり少帝として即位しました。

袁紹は、宦官の後盾だった霊帝の死を利用して、十常侍の排除を何進に献策します。

 

ところが、何進の妹である何皇后にとっては、宦官は手足でもありました。

彼女は、兄の何進に宦官の排除は出来ないと渋ります。

優柔不断な何進も、この絶好の好機に、だらだらと時間を費やすばかりでした。

 

袁紹「大将軍!名案があります、軍閥の董卓や丁原を呼び寄せましょう。

こうして、宦官を滅ぼさねば軍閥の力を借りて、こちらで滅ぼしてしまうぞ

そう皇太后様に脅しを掛けるのです」

 

何進は、袁紹の提案に乗り、勅命で董卓(とうたく)や丁原(ていげん)に

洛陽に上るように、命令を出してしまいました。

 

何進は、十常侍に先手を打たれ滅ぼされる

宦官集合 

 

何進は、袁紹を司隷(しれい)校尉に任じて、洛陽の警察権力を握らせ、

同時に、袁術にも兵権を与えて宦官を全滅させる手筈を整えます。

ですが、追い詰められた宦官は捨て身の攻撃に出て、偽の勅命で、

何進を宮中に呼び出し、これを暗殺してしまったのです。

 

袁紹激怒、警察権力を宮中に突入させ、宦官を皆殺しにする

宦官VS外威 三国志

 

上官である何進を殺された袁紹は激怒しました。

 

袁紹「おのれ!毒虫共め、こうなればヤケだ皆殺しにしてやるぞ!」

 

袁紹は司隷校尉としての警察権力を使い、兵を引きつれて
宮中に踏み込むと、逃げまどう宦官を皆殺しにしてしまいました。

その数は2000名と言われる大虐殺であり、中には髭がないばかりに、

宦官と間違えられて殺された人々も大勢いました。

 

しかも、十常侍の張譲(ちょうじょう)は、少帝と弟、劉協(りゅうきょう)を

連れて洛陽を脱出してしまい、洛陽には大混乱だけが残されたのです。

 

騎都尉の鮑信、袁紹を諌める!

董卓 はじめての三国志 ゆるい

 

そこへ、最悪のタイミングで勅命に応じた董卓の軍勢が入ってきます。

さらに、馬上の董卓は、張譲が連れ出した少帝と劉協を保護していたのです。

 

これを見た、騎都尉の鮑信(ほうしん)は、血相を変えて袁紹に言いました。

 

鮑信「あなたは、何と愚かな事をしているのか!

董卓がどんなに残虐で獰猛(どうもう)な男かご存じないのですか?

今の内に、董卓から兵権を奪ってしまわないと、後で後悔しても

及ばない事になりますぞ」

 

そう、その時点で兵馬を握る最高責任者は、袁紹でした。

ところが、董卓の軍勢を恐れた袁紹は、つい事態を静観してしまい、

結果、董卓の横暴を許す羽目になるのです。

 

袁紹、董卓に反抗して、洛陽を脱出

董卓&呂布

 

鮑信の言った通り、洛陽に入って暫くすると、董卓は本性を現します。

丁原(ていげん)のボディーガードだった呂布(りょふ)を寝返らせると、

丁原を殺害させ、その兵力を吸収し、司隷校尉の袁紹からも兵を剥ぎ取ります。

 

こうして、董卓は洛陽の権力を固めると、柔弱な少帝を廃し、

利発な劉協を帝にすると宣言します。

 

袁紹は、これに猛反発し、

 

「こんな大事な事を、あなた一人で決めるのは間違っている

ちゃんと三公に相談して決めるべきである」と反論します。

 

それに対して、董卓が怒り、剣を抜いて、威嚇しながら

 

「後漢王朝は、全て、余の思いのままにするぞ!邪魔をするな!」

 

と宣言すると、袁紹は、激怒しました。

 

袁紹「この天下に英傑が自分一人だなどと、思わない事だ!!」

 

袁紹は、挑発するような言葉を叩きつけると、洛陽を飛び出してしまいます。

 

董卓は袁紹を殺そうとするが、考えを変える

董卓戦上手なの?

 

挑発的な言葉を吐かれた董卓は激怒して、袁紹を賞金首にしますが、

伍瓊(ごけい)という人物が、董卓を諌めます。

 

「袁家は四代にわたり、三公を輩出する名門であり、天下には袁家に

恩義を感じている人士が大勢おります。今、袁紹を追い詰めて、

挙兵でもされれば、天下の大半は袁紹に従うでしょう」

 

董卓は袁家が、自分が想像している以上の名門であると知り

袁紹が兵を挙げても厄介だと考え直し、袁紹を渤海(ぼっかい)太守に任じます。

 

こうして、考えると、袁家の見えない威光が、大変なものである事が分かります。

一方の曹操は、逃亡しても、そんな恩赦はないのですから、圧倒的な家柄の差

というものが見えてきます。

 

袁紹、渤海で挙兵! 洛陽の袁家は皆殺しにされる

反董卓軍010

 

董卓は袁紹を懐柔しようとしますが、袁紹は、小さな渤海太守で人生を終える

つもりはさらさらありませんでした。

 

時に、西暦190年、東郡太守の橋瑁(きょうぼう)という人物が、

董卓の横暴に憤り、三公の筆跡を真似て董卓誅滅の激文を各地の群雄に送ります。

※三国志演義では、激文を出したのは曹操になっています。

 

激文は、渤海太守の袁紹にも届き、袁紹は反董卓の旗を掲げて決起します。

全国の群雄にも激文は届き、自然に袁紹を盟主として、従兄弟(或いは異母兄弟)で

後将軍の袁術、冀州牧韓馥(かんぷく)、山陽太守袁遺(えんい)。

 

東郡太守橋瑁(きょうぼう)、豫州刺史孔伷(こうゆう)、兗州刺史劉岱(りゅうたい)

陳留太守張邈(ちょうばく)、広陵太守張超(ちょうちょう)、河内太守王匡(おうきょ)、済北相鮑信(ほうしん)等が参加しました。

 

これだけの大軍が終結したのは、名門袁紹が最初に決起した為でしょう。

実力というよりは、時流と袁家の巨大な影響力が袁紹に味方していました。

 

董卓は、袁紹が山東で挙兵したと聞くと洛陽に残る袁家一族を皆殺しにして報復しました。

この中には、かつて袁紹に出過ぎた事をするなと注意した叔父の袁隗も含まれています。

こうして、袁紹にとって、董卓は一族の仇であり漢王朝を奪った敵になったのです。

 

諸候連合軍、袁紹の統率力の無さで崩壊する

袁紹VS公孫-

 

集まった反董卓連合軍は、号して20万という大軍で董卓に重圧を与えますが、

実際に、身を呈して、董卓と戦おうとする人間は、曹操や孫堅(そんけん)、

鮑信のような一部の人間に過ぎませんでした。

 

残りは、董卓を打倒した後の自分の勢力を考えて、兵力を温存し、

いかに、戦わないで済むかしか考えていません。

袁紹は、盟主に祭り上げられましたが、優柔不断で統率力がなく、

反董卓連合軍を引き締める事も出来ませんでした。

 

やがて、それを察した董卓は、孫堅に追いまくられた事もあり、洛陽を放棄して

都に火をかけると、住民と自分が帝にした献帝を連れて、長安に遷都します。

こうして、モチベーションを低下させた反董卓連合軍は、喧嘩別れを繰り返し

領地に戻り、以後は勢力争いに没頭するようになります。

 

公孫瓚

 

袁紹も渤海に戻り、反董卓連合軍に加わらなかった公孫瓚(こうそんさん)

抗争を繰り返していきます。

 

関連記事:三国志の徐州争奪戦が何だかややこしい!仁義なき徐州争奪戦を分かりやすく解説

関連記事:三国志でも有名な異母兄弟喧嘩・袁紹と袁術の遠交近攻の計

関連記事:貴族はみんな兄弟げんかをする!袁紹VS袁術、曹丕VS曹植,孫和VS孫覇

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

袁紹は、名門に生まれ人望もありましたが、

やはり、この時点までは、袁家の威光という力が強かったようです。

彼も、一代の英傑らしく部分、部分では、董卓に刃向かう等、

気骨のある所を見せますが、董卓の兵権を奪えなかったり、連合軍で統率力を

発揮できないなど、後に袁紹を滅ぼす優柔不断さも見えてきていますね。

袁紹の話は次のページに続きます。



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