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西部劇で連想するものと言えば、あの荒野をくるくる回る野草、
そして、町のあちこちに掲げられた指名手配Wantedの張り紙でしょう。
いかにも悪そうな賞金首の写真に賭けられた賞金こそ、無法が罷り通る西部という
感じがしますが、実は、三国志の時代にもWantedはあったのです。
この記事の目次
三国志の時代に立てられた立て札 偏
漢の時代には、教育制度が整い、割合に識字率が高かった事もあり、
政府の広報や様々な情報は、偏(へん)という立て札で掲示されました。
前漢中期から後漢初期に出土したエチナ漢簡には、以下のような
命令が書かれていました。
・郷、亭、市、里の目のつく所に大きく掲げて吏民全てに読ませよ。
・偏に胡虜の購賞について記載せよ、二亭ごとに偏を一つ掲げる事。
郷(ごう)というのは、県よりも小さい都市を意味していて、
里は、郷や県の中の一区画を意味します。
市とは市場、亭(てい)は官公庁の重層構造の建築物を意味しています。
つまり、偏は、あまねく民衆がいる所に立てるようにという意味です。
もうひとつの胡虜(こりょ)の購賞(こうしょう)の胡虜とは、
逃亡中の異民族の兵士を意味し、購賞とはそれを捕えた場合に送られる賞金です。
度々、侵略してくる異民族を捕える為に賞金を利用した
漢の時代にも、辺境では、度々、異民族が侵入してきて掠奪や殺人が起きました。
それを何とかするのは、もちろん兵士の役割ですが、それで補えない部分を
偏を立てて、賞金を記す事により腕っ節がある庶民にも捕まえてもらおうと
漢の政府は考えていたのです。
まさしく、治安の手が足りない部分を懸賞金で補おうという発想で、
基本的には西部劇のようなケースと同じだと言えるでしょう。
胡兵ばかりではなく、犯罪者、そして善行でも払われる購賞
この購賞、もちろん、異民族の敵兵ばかりではなく、
逃亡している犯罪者を捕まえて役所に引き渡しても支払われました。
ただ、コソ泥レベルの場合には、捕えるのに大した苦労がないので
何もなし、それ以上の犯罪者を密告するなり、捕えるなりすれば
賞金として黄金が与えられていました。
それ以上の、極刑が適用される国家反逆者のような場合には、
捕えるなり、斬首するなりすれば、黄金ではなく何十万銭という
大金が購賞として与えられました。
こう考えると一財産築けるような大チャンスに見えますが、
捕まえれば、大金が貰えるような凶悪犯罪者は、
通常軍隊が出動して逮捕していました。
このような凶悪犯を捕えるのは、一般人では難しかったでしょう。
犯罪者ばかりではなく、善行をしても購賞を貰えた
また、この購賞制度で面白いのは、犯罪者ばかりではなく、
善行を行った人間にも賞金が支払われたという点です。
それは、例えば、河に落ちて溺れた子供を救助した場合などの
人命救助が該当していました。
むしろ、こういう善行には、賞金を掛けない方が、
より純粋な行為になるような気もするんですが、
それよりも、賞金をかける事で、積極的に人助けをして、
善行を積むようにという道徳的な考えがあったようです。
三国志のハイライト、義勇兵募集も偏によって行われた
西暦184年、中国は黄巾賊(こうきんぞく)の反乱によって大混乱に陥ります。
漢王朝は長い平和で、正規兵が使い物にならなくなっており、
それを補う為に義勇兵を募集していますが、その際に使用されたのも
この偏のような立て札でした。
劉備(りゅうび)や孫堅(そんけん)や、公孫瓚(こうそんさん)のような人々も、
この偏を見てから、戦乱の中に身を投じ、頭角を現わしていくのです。
【シミルボン】こいつを捕まえたら1万銭!三国志の時代にもあったWanted
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