三顧の礼(さんこのれい)。
この故事成語は劉備が荊州(けいしゅう)・新野にいた頃、
諸葛孔明が非常に優秀な人材である事を聞き、
劉備自ら諸葛孔明を軍師として迎えるため、
彼の家へ三度迎えに行ったことが起因でできた成語です。
しかしこの三顧の礼、ある書物では行われていなかったと記されているようなのです。
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三顧の礼は存在していない!?
魏略(ぎりゃく)。
この書物は読んで字のごとく三国志の魏を中心に据えて描かれている歴史書です。
この書物に非常に面白い事が記載されていました。
魏略によると劉備自ら孔明に礼を尽くして三回会いに行ったのではなく、
孔明自ら劉備に会いに行ったとのことなのです。
一体どう言うことなのでしょうか。
荊州を守るために
曹操は袁家を滅亡させて河北統一を実現。
そして彼は天下統一を行うべく大軍を率いて南下する計画を立てます。
孔明は曹操が天下統一を行うために南下してくる可能性が高いと予想していましたが、
荊州のボスである劉表(りゅうひょう)は意志薄弱で軍事能力もない人物であり、
このままでは曹操軍に侵略されてしまうと考えます。
彼は荊州を曹操軍の攻撃から守るために人物に目をつけます。
それは樊城(はんじょう)に駐屯していた劉表の客将・劉備です。
孔明は劉備の元に行き、
曹操軍の大軍を防ぐ方法を教えるべく彼のもとへ行くことにします。
書生扱いされる
孔明は劉備の元を訪れて会見することになりますが、
他の客達と一緒に会見することになります。
劉備は背の高い青年孔明を見るとまだまだ青臭い書生だと思い、
彼に対して書生と同じ接し方で接します。
孔明は劉備が招いたお客達が全ていなくなった後も劉備の元から去ることなく、
黙って彼を観察しておりました。
孔明を無視して憂さ晴らし
劉備は孔明が帰らないことを不審に思いますが彼を無視してあることに熱中します。
彼が熱中したものは旄牛(ぼうぎゅう)を軍旗へつなぐことでした。
孔明は劉備が旄牛を結び合わせて軍旗へつけようとしている姿を見て彼へ
「あなた様は旄牛を結びに熱中しておりますが、そんなことをしている場合ですか。」と
尋ねます。
すると劉備は孔明へ「憂さ晴らししていただけだ」とキレ気味に答えます。
孔明は劉備が自分に興味を持ったことを確信しあることを尋ねます。
「自分と曹操を比べて見てどうですか」by孔明
孔明は劉備へ「あなた様は劉表殿と曹操を比較してどちらが優れていると思いますか」と
尋ねます。
すると劉備は「曹操だろうな」と述べます。
孔明は彼の言葉に頷いた後、
再び彼へ「ではあなた様と曹操どちらが上でしょうか」と尋ねます。
劉備は素直に「曹操だな」と答えます。
孔明は再び頷いてから劉備へ「そんなあなた様は数千の兵士か居ないのにどのようにして
曹操軍と戦うおつもりですか」と尋ねます。
劉備は孔明へ「そんなことはわかっているが、どうすればいいのかわしにはわからん。
しかしあなたが知っているのであれば教えてていただきたい」と孔明へ尋ねます。
孔明は劉備の要請を受けてあるアドバイスを行います。
孔明の進言とは
孔明は劉備へ「荊州は戦乱に巻き込まれていない地域で、
民衆は非常に多いのですが、戸籍に存在している人数は少ししかいません。
そこであなた様は劉表殿へ戸籍登録していない住民達全てへ
戸籍登録するように命令を下してもらい、
そこから一戸あたり何人と徴兵すれば兵士を強化することが、
できるのではないのでしょうか」と進言。
劉備は孔明の進言を受け入れて早速劉表へ進言します。
劉表は劉備の進言を取り入れたことによって劉備軍は大きく兵士の数を増やすことに成功。
そして劉備は孔明を軍師として向かい入れることになるのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
この話は全て魏略と言う書物に書いてある内容です。
だが孔明が書いた超名文とされる「出師の表」に「三度わがボロ家を訪れて、
昨今の状態について質問された」と記されているので、
魏略の記述があっている可能性はかなり低いでしょう。
しかし異説としてはかなり面白い部分であるのかなと考え今回ご紹介させていただきました。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—