後漢末から東晋にかけてあらゆる有名人の噂話が詰まっているゴシップ集『世説新語』。実は、この『世説新語』には私たちに馴染み深い故事成語のもとになったお話がたくさん載っているのです。中にはあの文豪がペンネームに選んだ言葉も…?
今回は皆さんに『世説新語』に見える故事成語をいくつかご紹介したいと思います。
七歩の才
『世説新語』の文学篇には『三国志』ファンには馴染み深い「七歩の才」のお話が載っています。
「俺が七歩歩き終わるうちに詩を詠めなかったら死刑な!」と迫ったアレです。曹植は曹丕が数歩歩くうちに次のような詩を詠みあげたといいます。
豆を煮て持って羹と作し、豉を漉して以て汁と為す。萁は釜の下に在りて燃え、豆は釜の中に在りて泣く。本同じ根より生じたるに相煎ることなんぞ太だ急なる
「同じ父母から生まれたのに、何で僕だけ痛めつけるのお兄ちゃん…」
という哀切が溢れる詩です。これを聞いた曹丕は無理難題を弟に強いた自分を反省したのだそう。この話から、詩才にすぐれていることを「七歩の才」と言うようになったのです。
断腸の思い
東晋王朝を乗っ取ろうとして失敗したというちょっぴり不名誉なことで有名な桓温ですが、ある程度の良識は弁えていたようです。そんな彼の『世説新語』黜免篇に見える良識あるエピソードがこちら。あるとき桓温が蜀の地の長江中流あたりにいたとき、部下の一人が猿の子を捕まえます。部下はその子猿が気に入ったのか、舟の上につれていきました。すると岸からギャアギャアと悲しげな鳴き声が。なんと母猿が岸伝いに追いかけてきていたのです。舟が何百キロ進んでも母猿は諦めることなく舟をおいかけ、ついに岸から舟に飛び乗ってきました。
ところが、その瞬間に母猿は力尽きて亡くなってしまいます。皆がその母猿の腹を破って見てみると、その腸は見るも無惨にズタズタに千切れていたのでした。このことを聞いた桓温は母猿の無念を思い、子猿を捕まえた部下をクビにします。
この話から、辛く苦しい思いをすることを「断腸の思い」と言うようになったのでした。
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」
竹馬の友
幼馴染の友人のことを「竹馬の友」と言いますよね。この言葉にまつわるエピソードも『世説新語』品藻篇に載っているのですが、ちょっと穏やかではない雰囲気…。再び桓温が登場するのですが、彼はここでライバル・殷浩をケチョンケチョンにけなしているのです。桓温によって羌族・姚襄に敗れた罪をチクられた殷浩は、庶民の位に落とされてしまいます。そのことを知った桓温、ゲスな笑いを浮かべて次のようにのたまったそうな。
「殷浩なんて小さいとき、俺が乗り捨てた竹馬で遊んでたような奴なんだぜ。俺より位が下になるのは当然だ。」
このことから「竹馬の友」という言葉が生まれたのですが、この話を知ってしまうと大分闇が深い幼馴染という意味にしか捉えられなくなってしまいますよね…。
石に漱ぎ流れに枕す
最後に、ある文豪のペンネームの由来になった故事成語をご紹介しましょう。そのお話は『世説新語』排調篇に見えます。西晋時代に孫楚という人物がいたのですが、彼は隠遁生活をすることを夢見ていました。
そんな彼は友人・王済に向かって
「石に漱ぎ、流れに枕したい」と語ります。
「ん?」
と一瞬微妙な顔をする王済。
しかし王済はすかさず、
「いやいや、流れに枕したり石に漱いだりっておかしいだろ!それを言うなら石に枕し流れに漱ぐだろ!」
とツッコミを入れます。
これを受けた孫楚はなぜか間違いを認めず、「流れに枕するのは耳の中を洗うためで石に漱ぐのは歯を磨くという意味だからいいの!」と頑張ったのだそうです。
このことから負けず嫌いということを「漱石流枕」と言うようになったのだそう。もう誰のペンネームかお分かりですよね?夏目金之助、すなわち夏目漱石です。
三国志ライターchopsticksの独り言
私たちに馴染み深い言葉にまつわる面白エピソードをたくさん載せている『世説新語』。正史には描かれているエピソードもありますが、中には正史では取り上げられないエピソードを読むことができるのでとても興味深い書物です。みなさんもぜひ『世説新語』を手にとってみてはいかがでしょうか?
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