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夏侯惇の眼帯はバカにされるのを隠すためだった!?

2019年1月15日


 

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曹操と夏侯惇

 

魏の将軍として知られ、曹操(そうそう)が挙兵した時から付き従っていた夏侯惇(かこうとん)。夏侯惇は三国志のゲームやマンガでかなり登場しているためかなりの認知を誇っている武将で、三国志をあまり知らなくても聞いた事がある人は多いと思います。

 

そんな彼のイメージは眼帯だと思います。しかし夏侯惇は自分の眼帯姿を非常に嫌っていたのです。どうして眼帯姿の自分が嫌いだったのか。今回はこの点を調べてみました。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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日本では人気の眼帯姿

伊達政宗

 

日本では眼帯姿の人物は結構人気のある人で知られています。たとえば独眼龍・伊達政宗(だてまさむね)も幼い頃病気にかかってしまい、目が見えなくなり、見えなくなった片方の目に眼帯をしていた姿は日本人なら誰でも知っています。しかし史実の伊達政宗の肖像画では眼帯をしていません

 

ではどうして伊達政宗が眼帯している姿が定着したのか。それはたぶんですが、伊達政宗が登場するゲームなどで彼が必ず眼帯をしている姿があったからだと思います。そしてこの伊達政宗の眼帯姿はかなり評判がよく、彼のイメージ=眼帯姿という風に定着したのではないのでしょうか。このように日本人には眼帯しているスタイルが人気でアニメでもがん帯している姿のキャラクターが多く存在しています。

 

しかし中国では、眼帯姿はあまり人気がなく、体に欠損がある人物はイメージダウンしてしまうことが多いのだそうです。

 

 

 

初代独眼龍・李克用も自分の体を嫌っていた

戦場で活躍する伊達政宗

 

独眼龍は伊達政宗が初代だと思っている方も多いと思いますが、実は違うのです。初代独眼龍の異名をもっていたのは唐の時代末期に登場した人が起源となっています。

 

その人物の名前は李克用(りこくよう)といいます。彼は生まれたときから片目が悪かったのですが、戦においては非常に勇猛果敢に敵陣へ向かって突き進み、幾度も勝利を治めた将軍であったそうです。そのため李克用に独眼龍の異名をつけられることになるのですが、このあだ名を彼はすごく嫌っていたそうです。

 

このように中国では体に欠損があるのをすごく嫌がる風潮が強かったそうです。それは三国時代も変わりませんでした。

 

 

魏のマイナー武将列伝

 

 

夏侯惇も自分の姿が大嫌いだった!!

 

夏侯惇は呂布(りょふ)討伐戦の時、流れ矢に当たって目を負傷してしまいます。夏侯惇は負傷した目が治ることなく過ごす事になります。そんな夏侯惇を軍の内部では同じ夏侯淵(かこうえん)と区別するため夏侯惇の事を盲夏侯と呼んで、ちょっとバカにした雰囲気を持ってこのように呼んでいたそうです。夏侯惇はこのあだ名を聞いて非常に嫌だったそうです

 

鏡を見ると怒って割っていた夏侯惇

 

そのため自分の顔を鏡で見たときはイラッとして鏡を地面に投げつけてブチギレていたそうなんです。また史実では眼帯をしていたとの記載が正史三国志になかったため、片目が見えない状態のまま戦に出ていた可能性が非常に高いです。夏侯惇の眼帯イメージが定着したのはこれもやはり三国志のゲームや小説、アニメなどの影響が多きのではないのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

日本と中国では価値観に大いに違いがあり、日本では眼帯姿のキャラクターや人物は大いに人気があります。しかし中国では目など体に欠損を持っている人物は軽蔑のまなざして見られていたそうです。

 

そのため夏侯惇もゲームや小説、マンガで眼帯姿のイメージが定着していますが、本人が現代に生まれ変わってこの姿を見ることになればかなり嫌な気分になっていたのではないのでしょうか。

 

もしかしたら夏侯惇が眼帯姿で登場しているゲームを発見したらその場でゲーム機を破壊しているかもしれません。また夏侯惇が眼帯姿で登場しているマンガを見つけたらすべて破っているかもしれません。そんな夏侯惇を見てみたいなと思うのはレンだけでしょうか。

 

参考 【正史三国志魏書】など

 

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曹操孟徳

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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