夏侯惇が鏡が嫌いなのはブサイクだから??

2018年8月3日


 

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夏侯惇

 

 

皆さんは夏侯惇(かこうとん)にどんなイメージを持っているのでしょうか。たぶん夏侯惇と言えばどんなイメージと聞けば、片目の武将と答える人が多いと思います。レンも夏侯惇は某ゲームに登場する夏侯惇のイメージが強いので、片目で眼帯(がんたい)しているイメージが強いです。そんな夏侯惇ですが、実は鏡を見るのが大嫌いなんです。どうして夏侯惇は鏡を見るのが嫌いなんでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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夏侯惇が鏡を見るのが嫌いな理由はブサイクだから

鏡を見ると怒って割っていた夏侯惇

 

夏侯惇が鏡を見るのが嫌いな理由はどうしてなのでしょうか。それは彼がブサイクだからなのでしょうか。でも某ゲームや漫画では夏侯惇がそんなにブサイクな顔をしているわけではありませんし、正史三国志や三国志演義にも彼がブサイクであったと記載されているわけでもありません。ではどうして夏侯惇は鏡を見るのが嫌なのでしょうか。それは彼の顔の特徴が原因でした。

 

 

夏侯惇の悪口がささやかれていたから

 

夏侯惇は片目になってから軍の中である悪口を囁かれていたそうです。夏侯惇は片目であったのと最古参の武将・夏侯淵(かこうえん)と区別をするため、「盲夏侯(もうかこう)」と呼ばれていたそうです。夏侯惇はこの噂を聞いて鏡を見るたびに怒りを覚えて、鏡を投げて勝ち割っていたそうです。それくらい鏡を見るのが嫌だった夏侯惇ですが、どうして片目になってしまったのでしょうか。

 

 

※kawa註

この記事では、夏侯惇が鏡を叩き割ったと書かれていますが夏侯惇の時代の鏡は、現在と違ってガラスではなく、銅の鏡の表面を研磨して凹凸を取り去ったものでした。つまりは銅鏡で叩きつけて欠けたり、歪んだりはするかもですが割れるような事は無かったのです。

 

 

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夏侯惇が片目になったのは呂布との戦のせい

夏侯惇が片目になったのは呂布との戦のせい

 

夏侯惇はどうして片目になったのでしょうか。それはある戦が原因です、その戦とは呂布(りょふ)との戦でした。曹操は父が徐州の太守・陶謙(とうけん)に殺害されたことで怒り、徐州の太守・陶謙に復讐するため軍勢を率いて攻め込みます。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

夏侯惇はこの時、曹操の本拠地の守備を任されていましたが、呂布が曹操の部下と手を組んで反乱。呂布は曹操の勢力のほとんどを手に入れることになりますが、曹操が帰還した事と荀彧の活躍により何とか守り通します。その後曹操が帰還してきたことにより呂布との戦いが始まることに。夏侯惇は曹操に従って呂布軍と激戦を繰り広げていきます。

 

夏侯惇は呂布とのある戦で軍勢を率いて戦に参加しているときに、流れ矢が彼の顔面に直撃してしまいます。彼はこの時、目に当たった傷の激痛を我慢しながら戦を継続し、何とかこの戦には勝利することができました。

 

 

三国志演義ではこの時の描写がえぐい

司馬師

 

三国志演義でも夏侯惇が片目になったときの描写が描かれていますが、ちょっとえぐいです。夏侯惇は呂布との戦に参加しますが、呂布の武将・曹性(そうせい)が放った弓矢が彼の左目に直撃してしまいます。夏侯惇は左目に突き刺さった矢を引っこ抜いて「俺の体は父と母からもらったものだ。この目玉を捨てるわけにはいかん!!」と言って目玉を食べてしまいます。

 

そして目玉を食った夏侯惇は曹性を刺し殺してしまうのでした。えぐくないですか。いくら戦闘中とはいえ、自らの目玉に刺さった弓矢を引っこ抜いて食べてしまうなんて子供が見たらトラウマになるレベルです。さらにこの時の夏侯惇の印象が強すぎて、荒くれ者のイメージを強くしてしまったのかもしれません。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

いかがでしたでしょうか。今回は夏侯惇が鏡を見るのが嫌な理由を紹介しました。三国志演義で夏侯惇が目玉を食った強烈な印象があるため、誰かに悪口を言われたすぐに殺してしまうようなイメージが持たれやすいですが、事実は意外とガラスのハートを持った繊細な人だったのです。

 

そのため皆さんも強気の人でがーがーいっている人が一人くらいは周りにいると思いますが、その人ももしかしたら強気の姿勢を見せているだけで、本当はガラスのハートを持った心が繊細な人かもしれないので、いじめないでくださいね。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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