三国志の魏の邯鄲淳が編纂したと言われている笑い話集『笑林』。意図的に笑い話だけを集めて作られた書物としては中国最古だと言われています。その中には日本の昔話の「芋ころがし」にそっくりな話もありますよ!
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日本昔話「芋ころがし」
まずは昔話の「芋ころがし」を振り返ってみましょう。これは落語の「本膳」の元ネタになっている話で、細かいところでいろんなバリエーションがありますが、要は里芋が転がる話です。
里芋ってまんまるでつるつるしていますから、お箸で上手に食べるのは難しいですよね。「フジパン」のサイトの「民話の部屋」に載っている「芋ころがし」はこんな話です(要約)↓
庄屋さんの家でお祝い事があり、村人たちが招待されました。
村人たちは宴席で出されるというお膳料理の食べ方のマナーを知らないため、和尚さんに相談しました。
和尚さんは、自分のまねをすればよいと言いました。
さて、お祝いの当日、村人たちは和尚さんのまねをしながらなんとか無難に料理を食べています。
ところが、和尚さんがうっかり里芋を落っことしてしまいました。
すると村人たちも真似をして、同じように里芋を落っことしました。
和尚さんが、これは真似するところじゃないと伝えたくて「えへんえへん」と咳払いをすると、村人たちも「えへんえへん」
和尚さんが「これはちがう」と言って隣の者をひじでつつくと、その人もまた隣の人をひじでコツン。
みんなが真似をしていき、一番端の人が
「和尚さん、わしのひじはどこへ持っていったらよかろうか」
和尚さんは困って逃げ出したくなりましたとさ。
『笑林』にあるそっくりな話
「芋ころがし」にそっくりな『笑林』の話をみてみましょう。
無教養な人たちがお葬式に行くことになったが、作法を知らなかった。
そのうちの一人がだいたいなら分かると言い、みんなに自分の真似をするように言った。
お弔いの場所に着くと、その人が先頭になって座ってお辞儀をし、後ろに続く者たちも前の者の背中に頭をこすりつけながら
つぎつぎとお辞儀をした。
先頭の人は後ろの人の足にぶつかり、「ばか!」とののしった。
みんなそれが作法なのだろうと思い、互いに足を踏み合いながら「ばか!」と言った。
いちばん後ろの者は喪主の近くにおり、喪主の足を踏んで言った。
「ばか!」
何でも真似っこしておけば間違いないと思って変なことまで真似してしまうというストーリーは、「芋ころがし」とそっくりです。『笑林』が成立した頃には日本には和尚さんはいなかったでしょうから、『笑林』のこの話が「芋ころがし」のルーツでしょう。
『笑林』よりも洗練されている「芋ころがし」
『笑林』で「ばか!」という言葉が次々と伝わっていく様子と、「芋ころがし」で「えへんえへん」という咳払いが伝わっていく様子はそっくり。足を踏むという動作が一番後ろまで伝わる様と、ひじでつつくという動作が一番端まで伝わる様もそっくりです。
ただ、「芋ころがし」のほうが内容が豊富で、より盛り上がるお話になっていますね。『笑林』では足を踏んで「ばか!」と言うという一連の動作だけが間違いでしたが、「芋ころがし」では①お芋ころころ ②「えへんえへん」 ③ひじでつついて「ちがうちがう」 の三つでたたみかけています。
絵面としても、足を踏むだけよりも、芋がころころ転がるほうが面白いです。それを最初に行うのが対等な村人のうちの一人ではなく偉いはずの和尚さんだというところもおかしさを増しています。
最後に「わしのひじはどこへ持っていったらよかろうか」という落ちがついているところも、話として洗練されています。『笑林』の話が面白かったために、日本の話のように翻案され、語り継がれるうちにより面白く脚色されたのでしょう。舞台が「お葬式」から「お祝いの席」に変わっているところは、気楽な笑い話にふさわしい雰囲気でいいですね。
三国志ライター よかミカンの独り言
『笑林』を編纂した邯鄲淳は学者さんなので、おそらく無邪気に面白いお話を紹介したかったわけではなかったろうと思います。内容も考えずに人まねをするしか能のない連中がいる、という批判を込めて、この話を採録したのではないでしょうか。
編纂者の意図を離れてお話として独自の発展を遂げた「芋ころがし」。物語というもののダイナミズムを感じます。
参考文献:
竹田晃・黒田真美子 編『中国古典小説選12 笑林・笑賛・笑府他<歴代笑話>』明治書院 2008年11月10日
フジパンオフィシャルホームページ 「民話の部屋」(閲覧日:2018年11月16日)
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