【三国志の民話】情けない顔で帰ってくる周瑜に小喬ブチ切れ!

2017年3月22日


 

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曹操と小喬と大喬

 

三国志演義では、大喬小喬と並び称される美人姉妹、小喬(しょうきょう)ですが、

その動向は物語では余り語られず、曹操(そうそう)が詩において、大喬・小喬を

銅雀台に侍らして酒を飲む事を欲しているという風聞が亭主の周瑜(しゅうゆ)

激怒させて赤壁の戦いの火付け役を演じるという比較的に地味な役割で終わっています。

 

しかし、民話の中の小喬はそれに留まらず、曹操に降伏しようとする

情けない亭主の周瑜に発破をかける役割を担っていたりします。

今回は、「三国志、中国伝説の中の英傑」から鋏池(はさみいけ)という

面白い話を紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操に降伏する、情けない顔で帰ってくる周瑜

曹操に降伏する、情けない顔で帰ってくる周瑜

 

ある時、小喬が刺繍をしていると亭主の周瑜が沈んだ顔で帰ってきました。

小喬がどうしたのです?と事情を聴くと

 

「曹操が八十万の大軍で攻めてくる、家臣の意見は和睦と抗戦で二つに割れている

一体どうしたものであろうか?」と言います。

 

小喬は、「勝つ見込みはあるのですか?」と質問すると周瑜は首を横に振ります。

「では和睦したらどうなります?」と質問すると周瑜は、

 

「主人が変わっても看板が変わらない店のように家臣の生活は何も

変わりはしないと思う」と返事をします。

 

小喬は、亭主の周瑜が、すっかり負け犬になっているのを知り落胆します。

 



実は、曹操はお前を妾に差し出せというのだ、、周瑜の言葉に小喬激怒

周瑜の言葉に小喬激怒

 

さらに、周瑜は言いにくそうに言いました。

 

「その和睦なのだが、、曹操は、呉と和睦すると未亡人のお前の姉と、

お前を譲り受け、銅雀台で何不自由なく住まわせると言っている・・

そうなると、私もお前とお別れという事になるのだ」

 

それを聞いた小喬は、サッと顔色を変えて激怒し周瑜をなじります。

 

「よくも、そのような汚らわしい事を堂々と口にできますわね!

自分の妻も守れないで、どうして都督という大任を全うできましょう

そもそも、そんな意気地なしで男と言えましょうか!」

 

小喬が怒って、まくしたてても周瑜は涙を浮かべて下を向いているばかり、、

その時、小喬の持っていた刺繍鋏が地面に落ちました。

 

民間伝承の三国志

 

大きな音がして、鋏が落ちた場所は池になった

残念な顔の周瑜

 

すると、ドーーーーンと大きな音がしたかと思うと、鋏は地面に吸い込まれ

代わりに綺麗な清水が湧きだしてきました。

池の表面はとても澄んでいて、周瑜の顔が鏡のように映し出されます。

 

その自分の顔を見て、周瑜はショックを受けます。

自分の妻を敵に与えて生き残ろうという卑屈でみっともない表情が、

池には映っていたのです。

 

(なんと醜い表情なのか、、私はこんな顔をして、

これからの人生を曹操の風下で生きるというのか、、)

 

周瑜は自分の卑屈な根性が嫌になり、小喬に言いました。

 

「私は、目が醒めた!恋女房のお前を曹操に与えて生き延びるなどという

恥知らずな人生は送りたくない、断固戦うぞ」

 

こうして周瑜は、徹底して主戦論を説いていき、孫権を説得し、

ついに赤壁で曹操を破ったという事です、おしまい。

 

三国志民話ライターkawausoの独り言

三国志民話ライターkawausoの独り言

 

民話には、この池は鋏池(はさみいけ)と呼ばれ、丘陽楼(がくようろう)の

近くに今もあると書かれています。

この丘陽楼というのは、赤壁の戦いの後に魯粛(ろしゅく)が水軍の訓練を

視察する場所として建築した有名な場所であるようです。

 

岳陽楼の東北には、洞庭湖(どうていこ)があり、或いは、この湖で行われる

水軍の訓練を魯粛は丘陽楼の上から見ていたのかも知れません。

そうなると、鋏池というのは、この洞庭湖の事かも知れず、

とても呉の水軍とゆかりの深い池という事になります。

 

もっとも、もっと小さい池なら、あの辺りには、沢山あるので

その中の一つかも知れませんけどね。

 

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三国志平話

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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