中国春秋戦国時代の最後の英雄で、中国大陸を始めて統一した嬴政。キングダムではまだ若き大王として君臨しています。
彼は後に始皇帝として世界史に名を刻みますが、万人が想像する皇帝像とはかけ離れた激動の生い立ちを経験しています。ひと癖もふた癖ある人物に翻弄され続け、懸命に生き続けて人質から皇帝にまで登りつめた嬴政の生い立ちをここで紹介していきます。
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嬴政誕生に欠かせない存在の呂不韋は実は父親?
キングダムや史実にも関わらず、嬴政の話題に必ず登場するのが呂不韋です。もとは商人で趙国内に人質として酷い扱いを受けていた子楚(嬴政の父親で先代王)を偶然見つけ、「奇貨置くべし」(珍しいものは手元に置いておくと大きな利益を生む)として、彼へ投資を考えます。
このときの子楚は太子の安国君(嬴政の祖父で後の考文王)の子どもであって、いうなれば当時の秦王(昭襄王で王騎将軍の主君)の孫にあたります。その孫連中でも20人はいたそうなので、王族とはいえ秦にとってほとんど価値がないという人物でした。
それでも呂不韋は自身の財力を以って賄賂と情報を駆使して秦国内で暗躍し、安国君が一番気に入っていた姫に取り入って子楚を養子に迎えさせます。こうして子楚が王位継承最有力候補に躍り出ました。
子楚は呂不韋に感謝しますが、呂不韋が連れていた芸者の趙姫を気に入り、譲ってほしいと願います。さすがの呂不韋も戸惑いますが、ここで子楚がへそを曲げるようなことがあると、これまでの苦労と大金がムダになってしまうので、しぶしぶ承諾します。この趙姫が嬴政を生み、後に太后として嬴政や呂不韋と敵対することになるのですが、すでにこのときには呂不韋との間に子どもを身ごもっていたとされています。
嬴政の父親が呂不韋であるということは、キングダムでも冗談交じりで本人が語っています。史実では証拠がないので推測でしかないのですが、嬴政が生まれた時期と呂不韋と趙姫、子楚の関係が微妙なこともあって、この説がたびたび歴史上で挙がることとなります。
殺されかけた人質時代の嬴政
キングダムでは秦に帰国する際、嬴政は趙軍の追撃にあって多くの被害を受け、感情が芽生えるきっかけを作った紫夏との悲しい別れを経験しています。ところが、趙から命からがら帰国したのは子楚のほうでした。紀元前258年に昭襄王が趙の首都を包囲すると、趙王から孫の子楚を殺害するよう指令が飛びました。
長平の戦いで趙軍兵士が40万人も生き埋めにされたこともあり、趙国内では秦国への恨みが大きくなっていたこともあって、子楚や趙姫、嬴政を探して復讐しようとする輩が大勢いたのです。呂不韋の手引きで何とか自分一人は脱出できた子楚ですが、趙姫と赤ん坊の嬴政は逃げることができず何とか隠れて凌いでいます。
秦の包囲が解けると嬴政や趙姫は殺されることはないものの、趙の民衆から迫害され、生きるのもままならない生活を送っていました。秦人でもなく、趙の生まれで本来なら呂不韋の元で何不自由なく暮らせていた趙姫からすれば、嬴政を生んだばかりに酷い仕打ちを受けたので、キングダム同様に実の息子を恨んでいたのかもしれません。
そんな環境で育っていた嬴政は他人から不信の目で見られ続けていたので、大人になってからも人を信じられず、常に疑心が募っていたと推測されます。
—熱き『キングダム』の原点がココに—
13歳で即位するも実権を握れない嬴政
昭襄王が亡くなり、後を継いだ安国君もすぐに死去するという事態で、遂に子楚が秦王に即位します。嬴政は太子になったことで趙王が秦に帰国させています。キングダムのような馬車での逃避行などはなかったでしょう。呂不韋は丞相として政治に関与するようになりました。
嬴政が帰国して間もなく、子楚も在位3年で死去してしまいます。嬴政はわずか13歳という若さで即位することになりました。政治の中心には呂不韋に任せることとなりましたが、キングダムよりかは呂不韋に敬意を払って接しています。
子楚が死んだことを受け、趙姫は呂不韋に復縁を迫ります。さすがに太后と丞相という立場なので関係が発覚してはまずいと考え、嫪毐を紹介しました。この嫪毐は後にクーデターを興し、国内を混乱させる要因を作ってしまいます。
嬴政は即位してからも、呂不韋や太后、嫪毐など大人に翻弄され続け、さらに疑心案魏に陥るようになっていきました。
春秋戦国時代ソーシーの独り言
嬴政の父親は呂不韋であるという説が残っていますが、実際に呂不韋がいなければ、この世に生を受けてはいないといえるでしょう。先見の明がある呂不韋の狙い通りに子楚が王となって、嬴政は王への道が開けました。不遇の時代を過ごした少年時代や実権を握れない人生が続きますが、この経験が後の天下統一へと続く礎となるのかもしれません。
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