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今週もお疲れ様。孫権に影響を与えた張飛の逸話

2021年11月19日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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今週もお疲れ様でした 張飛

 

はじめての三国志TVをご覧の皆さん、今週もお疲れ様でした。今回のお疲れキャラは張飛です。

 

張飛の寝込みを襲う張達と范彊

 

張飛と言えば万人敵と称えられながら最後は部下に寝首をかかれて死んでしまいますが、どうも、孫権が張飛の死をネタにしたらしい事が呉主伝から読み取れます。

 

孫策が亡くなり呉を継ぐ若き孫権

 

それは西暦221年の8月に孫権が武昌に至った時に諸将に出した命令ですが「最近は命知らずにも護衛兵をケチって非常時である事を忘れた者が多い前漢の雋不疑は太平の世でも腰から剣を放さずにいてあっぱれな京兆尹だと称えられたぞ」みたいなことを言っています。

 

亡くなる張飛将軍

 

張飛が死んだのは、221年の6月、孫権の命令は同年8月なのでタイミングもピッタリな感じがします。名前は出さないものの、「お前ら、銭をケチって豪傑ぶると張飛みたいになるぞ」と暗に言いたかったのではないでしょうか?

 

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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