現在の中国の首都は北京ですが、三国志の時代は、それよりも遥かに西寄りで洛陽と長安でした。
しかも、洛陽も長安も漢の時代だけではなく、唐の時代頃まで、歴代王朝の都だったのです。では、どうして洛陽と長安が王朝の首都に選ばれたのでしょうか?
洛陽と長安が首都になった理由1:山脈
答えは大きく分けて3つあります。1つは、洛陽と長安は盆地で周囲を山脈に囲まれている事です。山脈のお陰で洛陽と長安へ大軍が侵入するルートは限られていて守る側は少数の兵力で有効な防御が出来ました。
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洛陽と長安が首都になった理由2:河川
2つ目は洛陽と長安の近くを黄河をはじめとする河川が流れていて農耕に便利で飲料水に恵まれているという事です。水が豊富なら農業生産で多くの人口を養う事が出来、籠城しても長期間持ちこたえる事が可能になります。
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洛陽と長安が首都になった理由3:山脈が盾
3つ目は暴れ川である黄河の水害を山脈が盾になって防いでくれる事です。黄河には大量の土砂が含まれるので氾濫を起こすと水流が土石流となり地上の全てのモノを押し流してしまいますが、洛陽と長安はこの黄河の水害から守られていたのです。
参考文献:ウィキペディア
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