三国志の時代の中国は地縁・血縁がモノを言う氏族社会でした。あやふやな皇帝の末裔を名乗る劉備も、それなりに重んじられるほどですから地縁と血縁には個人の努力では越えがたい特別な力があったのです。
三国志の英傑たちも、その地縁と血縁をフルに利用しました。
王允は地縁と血縁で呂布を仲間に引き込む
地縁と血縁、この両者をいっぺんに使い歴史を動かしたのが王允です。王允は董卓暗殺を計画し、董卓のボディーガードである呂布を引き込もうとします。そこで王允が使ったのが、呂布と自分は同じ并州出身であるという地縁カードでした。
しかし、それでも呂布が「董卓は義理とはいえ親だしな…」と疑似血縁を理由に裏切りを渋ります。すると王允は「董卓は董で将軍は呂です。同族ではありません」と唆し裏切りを決意させました。
同じ田舎モンだろ?と劉備を懐柔
呂布も地縁を変則的に利用した事があります。それは呂布が劉備を頼って逃げてきた時の事、劉備を自分のプライベートルームに呼び入れた呂布は、やけに親密な態度で接し「俺もあんたも辺境の人間だ、仲良くしようぜ。都会の奴は薄情でいけないや」このような事を言いつつ、劉備を自分と同じ田舎の人間として同情を買おうとしています。
劉備の出身地の幽州も呂布の出身地の并州も当時の中国ではいずれも辺境でド田舎でした。しかし、劉備は呂布の話に一貫性がない事から表面上は歓迎しても内心では疑いを抱いたそうです。現在でも、特に知らない土地で同じ県出身者同士が出会うと親近感を持つ事がありますが、1800年前の中国でも、事情は同じだったようですね。