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実は正史三国志では関羽と戦っていた甘寧の逸話

2022年11月7日


顔良と関羽

 

顔良を瞬殺した関羽と命知らずの甘寧

 

正史三国志_書類

 

三国志演義では2人の戦いは描かれていませんが、正史三国志においては、両者が対峙する場面が記されています。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽と甘寧が対峙した場面

劉備と孫権

 

それは、劉備が蜀入りの後、荊州の領有を巡り孫権と揉めた時です。魯粛は関羽に備えて益陽を守り、関羽は軍勢3万人からえりすぐりの5千人を率いて浅瀬を選んで渡河しようとします。

 

魯粛 天下二分の計

 

 

魯粛はどうしようかと群臣と協議しますが、この時に手勢300人を率いた甘寧が「500人を貸してもらえれば、関羽が渡河するのを阻止できます」と豪語。魯粛が千人を与えると甘寧は、関羽と対峙します。

 

 

関羽を退けた甘寧

甘寧 ゆるキャラ 三国志

 

関羽は甘寧が千人で対峙していると聞くと渡河を中止して柴を集めて砦を築いて軍営を敷きました。この地点を関羽瀬と呼んだようです。孫権は関羽を退けた甘寧を褒めて西陵太守とし、陽新・下雉県を与えました。

 

 

なぜ関羽は退いたのか?

塩商人だった関羽

 

これだけ見ると関羽が甘寧に恐れを為したようですが、当時の関羽は荊州南郡の支配権を劉備に与えられたわけではなく劉備の指示なしに呉との全面対決はできない立場でした。

 

劉備、孫権、魯粛

 

実際に、関羽はその後、単刀赴会の魯粛と協議して劉備に少し不利な状態で領土を分割しています。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

関羽が甘寧を恐れたわけではなさそうですが、動けない関羽を見越して大見得を切ったとすれば甘寧もなかなかの策士と言えそうです。

 

参考:正史三国志甘寧伝

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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