世界史の奇跡と他国から賞賛され驚かれた戦後日本の高度経済成長。大東亜戦争後、国土が焦土と化した日本が急激に復興した理由として教科書ではGHQ主導による「財閥解体」や「農地解放」、「労働組合結成の促進」がよく出てきます。しかし、これらは日本経済を民主化する土台であり、これだけで日本が経済大国にのし上がったわけではありませんでした。今回は戦後日本が一気に経済大国にのしあがった隠れた理由、中編です。
前回記事:日本が戦後の焼野原から 一気に経済大国にのし上がった隠れた理由は?前編
産業再建の為に紙幣を濫発した結果インフレ発生
敗戦後の日本では、食糧の増産と石炭や鉄鋼のような主要産業の再建が急務でした。当時は極端な物資不足と失業率の急上昇が起き、それに加えて台湾や朝鮮半島、満洲などの植民地からの引き上げ者や太平洋各地の戦場から復員した軍人の本土への流入が混乱に拍車をかけていました。
そこで政府は、産業振興で雇用を生み出して失業率を改善し同時に食糧増産を図って物資不足を解消しようとしたのです。しかし、物資不足の中で予算を造る為に紙幣を濫発した結果、経済は極度のインフレとなり物価は高騰して国民生活は脅かされました。
基幹産業の手厚い保護がインフレを加速
日本経済がインフレになった事にはほかにも原因がありました。特に大きいのは企業倒産を極力回避するために実施された価格差補給金です。
これは石炭や鉄鋼のような重要物資の消費者価格が生産者価格よりも低く設定された場合、その差額分を政府が補償する制度です。これなら確かに石炭や鉄鋼会社は潰れませんが企業は補助金に依拠して合理化をしなくなり、本来潰れる企業を延命させる事になります。
また、日本政府は価格差補給金をアメリカの補助金で補っていて、到底自活できる状態ではなかったのです。そこでアメリカは1949年2月にデトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジを日本に招聘し財政健全化に乗り出しました。
ドッジラインによる補助金撤廃と円安誘導
ドッジは、インフレを助長し赤字財政を招いていた原因である価格差補給金全廃を命じます。さらに日本の輸出産業をテコ入れするために、それまでバラついていた円の為替レートを1ドル=360円に固定しました。
極端な円安と政府支出削減により、市場からは資金が消え経済はインフレから一転してデフレになり、資金繰りが出来なくなった企業の倒産が相次ぎ、合理化による首切りに反対する国鉄の労組が大規模なストを起こすなど社会は混乱しますが、為替レートの単一化により、輸出企業が世界市場に参入しやすくなり、安い日本製品の輸出が伸びます。
身を切る改革で日本企業が強化される
そして価格差補助金に甘えて経営努力をしなかった不良企業が淘汰され、経営努力によって合理化を達成した企業が生き残った事で国際競争力が高められ、政府も赤字財政から一転して黒字財政に転換しました。こうして日本は戦後継続してきた補助金漬け経済と慢性赤字を脱却し高度経済成長への下地が造られるのです。そして、冷戦構造の帰結として朝鮮戦争が勃発します。続く…
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