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董卓がデブなのは厚い脂肪で致命傷を回避するためだった?三国志のハート様[董卓の武勇を解説]

2023年1月4日


 

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

とにかく悪くてセコくて気持ち悪くて、読者の憎悪をとことんかき立て、そして期待通り(!)に凄惨な死に方をしてくれるのが、『三国志演義』序盤の悪役、董卓

 

 

袁家をイジメる董卓

 

しかしこの董卓、よく読むと、かなりの実力を伴ったやり手の独裁者であることに気づくはず。

 

橋瑁が決起文を送り反董卓連合軍結成

 

そもそもこの人がしぶとくがんばってくれたおかげで、劉備も曹操も袁紹も孫堅も反董卓連合軍としていい感じで邂逅し、群雄割拠の時代の幕が開くことになったのです。

 

 

董卓

 

そういう意味では、董卓こそが三国志の物語を面白くしてくれたひそかな貢献者なのかもしれません。ところでこの董卓、実は武勇に関してはかなりのものだったらしいのです!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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実は武勇に優れていたというエピソードに溢れる若き日の董卓

羽林騎時代の若き董卓

 

董卓はかなりの戦士タイプだったのではないかとうかがわせるのが、正史における以下のような記述です。

 

・若い頃は腕力の強さと武芸のうまさで定評があった、たとえば馬に乗りながら左右どちらの腕でも弓を扱えた(あれ?かっこいい!(笑))

・涼州の出身ということで、西域の異民族討伐にしばしば派遣され、大勝を重ねて出世した

・異民族討伐のプロとして漢朝廷から頼りにされ、出撃回数は百回を超えた。

 

などなど、武人として本人も優れている上に、現場指揮官としても連戦連勝を重ねるかなり有能な軍人であったことがうかがえます。

 

 

 

何よりこれだけ大勢の人間に恨まれ命を狙われながら生き延び続けたタフネスぶりは才能である!

董卓

 

特に『三国志演義』がふりまいた「まるまる太った下品なオッサン」のイメージのせいで、「本人は戦えない」と誤解されているむきもありますが、こういう記述を見ると実像はどうも違うようですね。なかなか本人も格闘戦もいける、侮れないレスラータイプだったのかもしれません。

 

董卓

 

たとえ見た目には太めのオッサンであったとしても、古代の中国では暗殺の手段といえば刃物や弓矢での直接攻撃がメインだったでしょうから、「体格が大きくて頑丈」というのはそれだけでアドバンテージであったかもしれませんし。

 

呂布に暗殺される董卓

 

実際、漢王朝で実権を握った後にはたくさんの人に恨まれ、そうとうに暗殺の危険もあったはずですが、呂布ほどの武人に委託しなければ殺せなかったほどしつこかったというのは事実です。

 

 

何度か刃物で刺客に襲撃される目にはあったかもしれませんが、そのつど、格闘で相手を取り押さえて難を逃れていたのかもしれません。だとすれば、まさにレスラータイプだ!

 

関連記事:董卓ってどんな政治をしたの?残虐行為だけじゃない!知識人登用に熱心だった董卓

 

 

独裁者としてみるならば統治能力も決して悪くない董卓

董卓

 

この董卓、黄巾族の乱によって漢王朝が衰退したあかつきには、討伐軍を解散せずに(これは明白な命令無視)駐屯を続けて権力奪取のチャンスをしつこく待ち続けるなど、なかなかの政治的なしたたかさも持ち合わせています。

 

異民族を倒す若き董卓

 

洛陽に入った後も、無意味な虐殺や残酷な処刑で評判を落としましたが、「あえて恐怖政治を敷くことで中国を支配しようとした独裁者」としてみれば、手段の是非はともかく、政治手腕はかなりハイレベルだったのではないでしょうか。

 

呂布に殺害される丁原(ていげん)

 

主人を失って右往左往していた何進の軍勢を吸収したり、丁原の軍勢を飲み込んだりと、権力掌握の直前までは「敵のだきこみ」に成功しているところにも、非凡な才覚を感じさせます。

 

ミニチュアで遊ぶ董卓

 

 

だいいち彼が入る前の洛陽は、十常侍にせよ何進にせよ、入れかわり立ちかわり現れたリーダーたちもまったく統治ができておらず、政治的にはひどい状態でした。そこにあらわれた董卓が打ち立てた統治機構は、けっきょくは短命な政権であったとはいえ、一時期は中国大陸を掌握してしまったのはたいしたものともいえます。

 

李傕・郭汜祭り

 

 

彼が死んだあとの李傕あたりになればまったく中央を取り仕切れず、王朝も長安も壊滅的なカオス状態に陥ったわけですから、なおさらです。

 

 

 

まとめ:後世の作家がよほど「悪」のイメージを強調しているだけの可能性もある

董卓

 

 

今回は董卓が武人・軍人としてはなかなか有能であったらしい、という考察を行いました。たしかに彼が実権を握ってからの数々の残虐エピソードは目に余ります。

 

孫堅と董卓

 

 

ただし気をつけなければいけないのは、三国志の物語の展開上、董卓は何かと「悪役」として描かれているほうが、曹操劉備・孫権らの世代から見ると都合がよい、という点です。

 

 

三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

 

つまり董卓の非常識なまでの悪逆さは、ある程度は後世の作家たちによる脚色である可能性も高いのです。

 

眠る董卓

 

 

どの程度までが脚色で、どの程度までが実像なのかは、もはや検証することは不可能ですが、「たとえ暴君であったとしても、あの時代に一時とはいえトップにのぼりつめたのはたいしたヤツ」という点は、認めなければいけないのではないでしょうか。

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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