造山古墳は国内4位の大きさを誇り、天皇陵ではないため発掘や立ち入り調査ができる岡山県北区の前方後円墳です。5世紀頃の築造とみられている造山古墳で、今回初めて後円部賁頂の発掘調査が行われ、中心部の地表から80センチの深さで古墳時代の石室の石材とみられる香川県産安山岩の板石5枚がほぼ一列に並んだ形で発見されました。
来年以降、石室発見の期待も
石材は約40センチ四方で厚みは約10センチ、石室が存在する可能性が明らかになり、大和や出雲、筑紫とともに有力な古代王権とされる吉備国の謎解明に来年度以降の調査の期待が高まっています。今回の調査では、それ以外にも北東側の賁丘斜面部からは古墳を覆う石である葺石を初めて検出、30センチ前後の花崗岩や流紋岩が使われていましたが、葺石の上部は残ってなく賁頂本来の高さは確認できませんでした。
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石室があると何がスゴイ?
石室とは石棺を覆う外壁の役割をしています。そのため石室の存在は、そこに古代の有力者の遺骨が納められた石棺の存在がある事を示しているのです。仮に石棺が盗掘にあって破損していたとしても、石室内に副葬品の一部や壁画のような古墳時代の文物が残っている可能性もあります。それらを解析する事で謎に包まれた古墳時代の日本の状況が浮かび上がるかも知れません。
戦国時代の備中高松城攻めに関係
造山古墳は戦国時代に羽柴秀吉が水攻めにした備中高松城から3キロほどしか離れてなく、毛利側が古墳を崩して陣地を築いたと考えられていて、その古墳改変の具合も調査されましたが、そこまで大幅な改変はなされていないようです。来年以降の発掘調査で石室が発掘されれば、これまで伝説だった古代吉備王国の存在が考古学的に裏付けられた事になり出土物によっては、ヤマト王権と吉備王権の繋がりが新しくわかるかも知れませんね。
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