NHK大河ドラマ「どうする家康」第二話「兎と狼」では、徳川家康が寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた勇猛な大将だとする話がありました。しかし、実際には年が明けて生まれたので卯年で、生母の於大の方がウサギでは狼に食われるとして年齢を詐称した事になっています。あの話は事実なのでしょうか?
家康は寅年生まれである
調べてみると、徳川家康が誕生した1542年12月26日は寅年でした。家康は午前4時頃に誕生したとされ、それが事実なら寅の刻で、寅年と寅刻が重なります。ただ、1542年12月26日が12日に一度回って来る寅の日かどうかまでは分かりませんでした。
家康には卯年説もある
一方、家康は寅年生まれではなく、翌年の卯年生まれとする説もあります。これは家康が征夷大将軍になった1603年に無病息災などを願った願文を出した時、家康が自ら六十一歳卯年と記した資料があるからのようです。
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生誕年のズレをドラマに織り込んだ
家康が自ら卯年だと記した以上、やはり家康は卯年だったのかも知れません。今回の大河ではそこを逆手に取り、本当は年が明けてから生まれた家康を、生母、於大の方がウサギでは狼に食べられてしまうという理由で、家康の誕生を数日前にズラして設定したというちょっとしたエピソードを挿入したのです。
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