日本では一般的に『三国時代』と言えば、魏・呉・蜀の三国が鼎立(ていりつ)した中国の三国時代を指しますが、世界史に目を向けると、中国以外にも『三国時代』のあった国があります。
今回はそんな世界の『三国時代』を紹介しましょう。
朝鮮の『三国時代』と『後三国時代』
朝鮮半島から満州にかけて、高句麗(こうくり)・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の三国が鼎立した時代が『三国時代』と呼ばれています。韓国の歴史学では朝鮮の歴史書『三国史記(さんごくしき)』の表記に基づき紀元前1世紀から7世紀にかけてをこう呼称しています。
しかしこの『三国史記』の記述には疑問点も多く、中国の歴史資料とも整合性が取れないことから、日本の歴史学では中国の歴史書『晋書』にならい、4世紀から7世紀としています。
朝鮮半島において三国が鼎立、発展しえた背景には後漢の滅亡が大きく影響しているでしょう。ご存知の通り、中国では後漢の滅亡後は三国時代となり、その後唐が成立するまで約300年もの間、安定した長期王朝が成立することがありませんでした。
それは大陸から朝鮮半島への影響が弱まっていたと言うことも出来るでしょう。半島北側に位置していた高句麗はその後満州へ勢力を拡大、一時はかなりの領土を持つに至りましたが、後に唐と同盟を組んだ新羅によって半島は統一され、三国時代は終焉に至りました。後に9世紀末から10世紀前半にかけ、弱体化していた新羅が分裂することから始まる時代を『後三国時代』と呼びますが、これは約半世紀に満たない短い期間でした。
イギリスの『三国時代』
ブリテン諸島(現在のイギリスとアイルランド)には16世紀半ばから18世紀末までの間、イングランド王国・スコットランド王国・アイルランド王国の三国が存在していました。この時代を『三国時代』と呼ぶことがあります。
17世紀初頭、スチュアート朝のジェームズ1世がイングランド・スコットランド両王国の王を兼任して以来、両国は一人の君主を戴く連合国家になっていましたが、18世紀に両国の議会はイングランド側の議会に統一され、完全に統合されました。
(ただし、スコットランドの自治拡大の為、1999年にスコットランド議会は復活しています。)
その後、19世紀頭にアイルランド王国が統合され、現在のイギリスの原型となるグレートブリテン王国が成立しました。
豆知識: スコッチウイスキーの誕生秘話
なお、これはまったくの余談になりますが、イングランドとスコットランドが統合される以前、スコッチウイスキーは現在と違い、無色透明でもっと粗悪な蒸留酒でした。二国が統合された後、イングランド政府はスコッチウイスキーに重税を課しますが、これに反発したスコットランド人たちは密造したウイスキーをシェリー酒の樽に詰めて、山中などに隠しました。
隠されている間、ウイスキーに樽の成分が溶けこんで熟成が進み、今のような琥珀色のウイスキーになったということです。まさにスコッチウイスキーはイギリスの歴史が生み出した酒と言えるでしょう。
古代琉球の『三国時代』ならぬ『三山時代』
琉球に南山、中山、北山という三つの王国が並立した14世紀~15世紀にかけての時代を『三山時代』と呼びます。
三つの王国は中国の明に朝見して勢力を誇りましたが、最終的に中山が琉球を統一しました。
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