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名将にふさわしいのはどちらか対決【岳飛編】
関羽は三国志きっての勝率を誇る武将で、まさに名将にふさわしい人物でしょう。
さて岳飛はいったいどのような戦歴を持っているのでしょうか。
これから岳飛の戦歴を紹介していきたいと思います。
18年間全勝した名将
岳飛は金軍と戦い始めてから、秦檜に無罪の罪を着せられてなくなるまでの
18年間一度も負けの味を知らない将軍でした。
そんな彼の戦の模様を紹介します。
初めての戦
岳飛の最初の戦いは義勇兵として金軍と戦った頃から始まります。
彼は宋が金軍に侵入し始めたころ、宋の将軍である宗沢が宋の首都である開封で、
義勇兵を募っていること耳にします。
彼は開封に赴き、宗沢の義勇兵に参加。
そして開封に攻撃を仕掛けてくる金軍と戦います。
彼は初めての戦であるにも関わらず、金軍に鮮やかに勝利をおさめます。
中原で戦い続ける
宗沢は江南に宋の旧貴族を推戴して、新たな国を建国するため、
開封を去ります。
岳飛は宗沢が開封を去る前に、江南へ一緒に来るよう誘われます。
しかし彼は中原に残っている民を守ることに決めていたため、
宗沢の誘いを断ります。
そして彼は宗沢が中原を去った後も、友軍がいない中原で金軍と激闘を繰り広げます。
南宋に侵入した金軍を蹴散らす
岳飛は金軍が大群で南宋に侵入したと知らされます。
彼は急いで南宋へ向かい、大軍の金軍に対してゲリラ戦を用いて、
戦います。
金軍は居所のつかめない岳飛のゲリラ戦に連戦連敗。
そして南宋から撤退していきます。
こうして岳飛は金軍を南宋から追い出すことに成功します。
中原を回復するため、ドリルのごとく北へ突き進む
岳飛はその後、南宋の諸軍閥を率いて北伐を開始。
彼は迎撃に出てきた金軍の将軍・兀朮(うじゅ)の大軍を蹴散らし、
旧宋の首都である開封(かいほう)付近にいた金軍を壊滅させ、
南宋の首都である開封奪還に王手がかかります。
しかし宰相である秦檜の命令により、撤退せざるを得なくなります。
もし秦檜が岳飛に撤退の命令を出さず、
彼に軍事を任せて好きなようにさせておけば、宋の首都を奪還できたかもしれません。
この秦檜の命令を岳飛の敗北として受け取るのであれば、
彼の敗北はこの撤退だけで、それ以外、
金軍に対して一度として敗北しなかった名将です。
第2Round:結果は…
さて岳飛の紹介が終わり、第2Roundも終了いたしました。
両者共に恐ろしいほどの戦歴を持っておりびっくりしました。
第2Roundの結果は…
対金戦に対して敗北しらずの岳飛に軍配を上げたいと思います。
理由は
岳飛がもし漢人の軍勢と戦っていれば、負ける可能性もあったかもしれません。
しかし異民族(金)に対しては、戦術を尽くして一度も負けず南宋の領土を守り通し、
北伐の際には南宋の首都奪還目前にまで迫ることができたが原因です。
写真引用元:岳飛伝チャンネル銀河
写真引用元:BS JAPAN 岳飛伝