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【九州三国志】『三國志』は中国だけじゃない!日本の三国志事情 Part.2

この記事の所要時間: 726




竜造寺隆信 wiki

(画像引用元:wikipedia 龍造寺隆信)

龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)は蒲池鑑盛(かまちあきもり)の元で

力を蓄え、肥前(ひぜん)に戻るチャンスをうかがっておりました。

そんな中、九州の覇者であった大友家が毛利家に敗北したとの報告が入ります。

彼はすぐに肥前に戻り、佐賀城(さがじょう)を奪還し、龍造寺家の当主に返り咲きます。

その後反隆信勢力を駆逐し、龍造寺家の基盤を固めます。

そして勢力拡大の為、肥前に割拠する豪族や国人衆を討伐。

こうして東肥前を手に入れた後、南肥前に勢力拡大を図ります。

 

前回記事:【九州三国志】『三國志』は中国だけじゃない!日本の三国志事情 Part.1




宗麟の弟を討ち取り、力を蓄える

 

隆信は肥前統一の為、南肥前に勢力を持っている有馬家と争います。

大友家は龍造寺家の勢力伸長に危機感を覚え、

宗麟の弟である大友親貞(おおともちかさだ)に軍勢を預け、

龍造寺に圧力をかけるよう命じます。

隆信は大友家が圧力をかけて来た事を知ると、

有馬家との争いを一時的にやめ、大友軍の討伐に向かいます。

隆信は大友軍が大軍であり、肥前の豪族達をそそのかしていることから、

早めに決着をつけたいと考えます。

鍋島直茂(なべじまなおしげ)は隆信の考えを知り、奇襲作戦を進言。

隆信は直茂の進言を採用し、大友軍に奇襲を仕掛けます。

大友軍は龍造寺軍の奇襲を受け、大将である大友親貞が討ち取られ大敗北。

大友軍は大将を失った事で肥前から退却しますが、

大友家の勢力を肥前から完全に除くことはできませんでした。




肥前統一に王手をかける

photo credit: Daisy via photopin (license)

photo credit: Daisy via photopin (license)

 

隆信は肥前に割拠している豪族達を臣従させたり、

討伐したりして肥前の大半を手に入れます。

そして最後の難敵であった有馬家の松岡(まつおか)城を手に入れ、

ついに悲願であった肥前に王手をかけ、最後の敵である大友家との決戦の前に、

クマが冬眠して力を蓄えるように国力を蓄え、じっと待ちます。

 

薩摩統一そして…

島津義久 wiki

(画像引用元:wikipedia 島津義久)

父貴久の死後、薩摩の大名になった島津義久(しまづよしひさ)は、

ついに悲願であった薩摩統一を成し遂げます。

島津が薩摩統一を行い近隣に勢力拡大を図っていることを知った

日向(ひゅうが)の大名である伊藤義佑(いとうよしすけ)は島津の勢力拡大を快く思わず、

島津討伐を決意。

義佑は3千もの大軍を率いて薩摩へ侵攻を開始します。

義久の弟である飯野城主・島津義弘(しまづよしひろ)は、

伊藤家が薩摩に侵攻してきたと知り、手勢200人を率いて出撃します。

 

木崎原に伏兵を置く

 

義弘は伊藤軍が飯野城を無視して

加来藤(かくとうじょう)城へ進軍していることを知ると、

兄義久に使者をお送り、援軍を要請。

そして近隣の城主にも援軍要請をした後、飯野城の守兵を細かく分散します。

まず島津軍60人を加来藤城へ救援に赴かせます。

そしてもう一隊(40人)を木崎原の後方にある白鳥山という小高い山に向かわせます。

最後に島津軍50人を本地原にある溝に伏兵として置き、

義弘自身は20人を飯野城に残して130人の兵で木崎原近辺に陣を築きます。

 

木崎原の戦い前哨戦「加来藤城攻防戦」

 

伊藤義佑は加来藤城へ着くと攻撃するように各軍へ通達。

伊藤軍は義佑の命令を受け加来藤城に攻めかかりますが、

思うように攻撃が捗りません。

その原因は真夜中に攻撃した事と加来藤城に籠城している島津軍が、

頑強に抵抗した事が原因で、伊藤軍の被害は時間が経つにつれ、拡大していきます。

義佑は被害が拡大することを恐れ、白鳥山の近くにある古城跡に一時撤退します。

 

必殺の戦法「釣り野伏の陣」

 

義弘は伊藤軍が白鳥山の近くにある古城に陣を張っていると報告を受けると、

構築した陣を捨て、伊藤軍に真正面から攻撃を開始。

しかし伊藤軍3000人VS島津軍130人じゃ相手にならず、

義弘の軍勢は敗北し撤退します。

伊藤軍は島津軍に追撃をかけ、義弘を討ち取ろうと目論みます。

義弘は木崎原の陣地に入ると、追撃してきた伊藤軍に鉄砲の一斉射撃を

行い、狼煙をあげます。

この狼煙を見た各地の島津軍の伏兵は一斉に伊藤軍に襲い掛かります。

伊藤軍は全方向から鉄砲の一斉射撃と島津軍の突撃で大混乱に陥ります。

義弘は伊藤軍の混乱を目の当たりにし、本陣の兵を率いて攻撃をかけます。

伊藤軍は島津の伏兵隊の猛攻を受け、壊滅的な損害を出しながら、

なんとか退却。

義弘がとったこの戦法を「釣り野伏」と言い、島津義久が考案した必殺の戦法です。

この戦法は木崎原の戦い以降、島津軍のお家芸となります。

 

甚大な損害を出した両軍

 

この戦いで伊藤軍は将校や武将らを大量に失います。

しかし勝利した島津軍も飯野城にいた全兵力300人の内、

帰還したのはたったの43人で、80%の兵力を失っており、

いかに凄惨な戦いであったかを物語っております。

 

日向・大隅・薩摩を統一し、九州の一強に名乗りを上げる

photo credit: Hot Summer via photopin (license)

photo credit: Hot Summer via photopin (license)

 

義久は木崎原で伊藤軍に勝利を得ると、その勢いで日向へ侵攻を開始。

伊藤軍は木崎原で受けた損害の回復ができておらず、

次々と島津軍に降伏します。

そして伊藤家当主である伊藤義佑は大友家に亡命します。

こうして日向(を統一することに成功します。

そして日向統一と共に大隅の統一にも成功。

こうして九州地方は大友・島津の二強時代に入ります。

【次のページに続きます】




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