よく皖城で共闘できたね?三国志史上最凶に仲が悪かった甘寧と凌統

2016年5月16日


 

甘寧と凌統

「大戦乱!!三国志バトル」コラボ特別記事

 

西暦214年、呉の呂蒙(りょもう)は、曹操(そうそう)

強化するように指示した睆(かん)城を、

甘寧(かんねい)凌統(りょうとう)という二将を使って、

夜明けからたった数時間で、撃破してしまうという電撃戦を行います。

え?それがどうかしたのかですって? どうしたもこうしたも・・

だって、甘寧と凌統は、三国志史上、最凶に仲が悪いのですから・・

よく二人で喧嘩しないで戦えたなァと思うのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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行きがかりとは言え、凌統の父を射殺した甘寧

凌統

 

甘寧は元々は、劉表(りゅうひょう)の配下で、

江夏城を守っていた黄祖(こうそ)の部下でした。

黄祖は、以前、攻め込んできた孫堅(そんけん)を殺していて、

その恨みを晴らそうと考えた孫権は、西暦205年に、

軍を率いて江夏に攻め込みます。

 

しかし、この時は、敵将で元海賊、甘寧の操る水軍に歯が立たず惨敗

乱戦の中で、凌統の父、凌操(りょうそう)は甘寧に矢で射殺されます。

残された凌統は、父の仇である甘寧に復讐を誓いますが、

ここで、皮肉な事が起きてしまうのです。

 

黄祖の待遇の悪さに甘寧が孫権に寝返り、黄祖を撃破!

甘寧と凌統と孫権

 

なんと、孫権の最大の障害だった甘寧が部隊と共に降伏してきました。

理由は、黄祖が甘寧を認めず、ろくに恩賞もくれないからでした。

もちろん、孫権は甘寧を大歓迎で迎え、再び、江夏城を総攻撃、

今度は、黄祖も成す術なく戦死します。

 

こうして、呉には、甘寧と凌統という、最凶の犬猿の仲が

誕生する事になってしまいます。

 

 

三国志演義の仲直り話はなんと嘘!!

甘寧と凌統04

 

三国志演義によれば、元々は足を引っ張り合う仲だった二人は、

濡須口(じゅすこう)の戦いで魏将、樂進(がくしん)の馬を

甘寧が得意の弓で倒して凌統のピンチを救い、それを契機に仲直りしたとされています。

しかし、それは、全くの作り話で、事実ではないようです。

 

流石に父を殺された恨みは深く、凌統は一生、甘寧を許さなかった

というのが事実に一番、近いようです。

 

酒が回り、座興の剣舞が始まると、辺りは一触即発に・・

甘寧と凌統と呂蒙

 

二人は、いついかなる時も、一緒にいるといがみ合いました。

ある戦勝の宴では、犬猿の仲の二人が、共に酒を飲む事になります。

酔いが回り座が盛り上がると、酔った凌統は、、

 

凌統「これより、それがしの剣舞をお目に掛ける」

 

といい、腰の剣を抜きはらい、舞いを見せますが、

何故か、甘寧の座席に殺気を向けていて、今にも襲いかかりそうです。

それを見ていた甘寧も目をすわらせて、、

 

甘寧「どおれ・・俺様の戟の腕前も披露致そうか」

 

というや、手元の戟を取って立ち、たがいに刃を交えて、

本気で殺し合いを始めるという始末でした。

 

エキサイトした二人は、おいそれと引き離す事も出来ず、

毎回、上官である呂蒙(りょもう)が決死の覚悟で引き離していました。

 

孫権の命令で、甘寧は半州に飛ばされる

甘寧と凌統06 孫権と呂蒙

 

二人のいがみ合いがあまりにヒドイので、孫権は、

窮余の策として、甘寧を半州に飛ばして、決して二人が、

同じ場所に居合わせないようにしたようです。

 

これも恐らく、二人の上官である呂蒙が・・

 

「殿、甘寧と凌統をなんとかして下さい、、

このままでは、私の身がもちません・・」

 

とか何とか言ったのを孫権が了承したのではないかと思います。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

犬猿の仲とは言え、個々人の武力は抜群である事は、

皖城がたった数時間で陥落するという電撃戦にも表れています。

凌統は、個人的性格にも問題がある甘寧と違い、非常に義理堅く、

がまん強い性格で、215年の第二次合肥の戦いでは、大将である

孫権を逃がす為に、300名の手勢で張遼に立ち向かい、

瀕死の重傷を負いながら無事に生還するという大手柄を立てました。

 

運命のいたずら、凌操を殺したのが、甘寧でなければ、

少なくとも管理職の呂蒙は、もっと楽だったでしょうね。

 

本日も三国志の話題をご馳走様です。

 

今回の記事は大戦乱!!三国志バトル」コラボ特別記事

 

 

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この記事を書いた人:kawauso

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■自己紹介:

どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。

もちろん、食べるのはサーモンです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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