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正史三国志と三国志演義の違い其の1:史実と創作物
正史三国志と三国志演義の違いは一体どのように違うのでしょうか。
まず正史三国志は史実に則っている書物であるため、
参考資料とした文献や参考にして裏付けができている証言を元にして編集しているため、
史実に残っていることしか書いておりません。
しかし三国志演義は三国志を知らない中国の人々に関心を持ってもらうために、
作られた大衆向けの娯楽物であった為、創作されている部分があります。
正史三国志と三国志演義の違い其の2:正統している国が違う
正史三国志は晋の時代に作られているものであるため、
陳寿は晋の前身である魏王朝を正統しており、
歴史書の内容は魏を悪く扱っている記述はほとんどありません。
また魏を正統としていることから蜀・呉をあまり持ち上げてはおりません。
もちろん史書なので正統である魏を持ち上げているのかと言われるとそんなこともなく、
あくまで客観的な視点で三国志を編集しております。
では三国志演義はというと、
この書物は蜀である劉備を正統としてることから非常に蜀を美化して描かれております。
また曹操を悪玉として描いていることから、
曹操にまつわるエピソードや魏の初代皇帝である曹丕(そうひ)などの
歴代魏の皇帝の事もよく書かれていません。
また魏を則った司馬家一族も曹魏と共に印象よく書かれていませんが、
呉は蜀の同盟国であったことから曹魏と司馬家に比べれは比較的に悪印象を持って描かれておりません。
また三国志演義が編集された時代背景も大きく影響を及ぼしております。
三国志演義が編集されたのは元の末期から明の初期にかけてですが、
元の時代の前時代である宋の時に朱子学(しゅしがく)が主流になります。
この朱子学を詳しく説明すると道がそれてしまうため割愛しますが、
簡単に言うと正統性を大事にする学問で、
宋が異民族である金に滅ぼされると朱子学は異民族と漢民族の差を強調して、
漢民族の正統性を訴えていくことになります。
羅貫中が生きていた時代は異民族王朝であった元と漢民族の王朝である明が入れ替わる時期であったこともあり、
これらの正統性が大事にされていたことが原因でその影響が大きく三国志演義にも反映。
劉備率いる蜀が漢王朝の正当な後継者で、
曹魏率いる曹操は漢王朝を簒奪した悪者として描かれていくことになります。
正史三国志と三国志演義の違い其の3:史実にはない物語が散りばめられている
正史三国志と三国志演義の違い其の1でもお話しましたが、
正史三国志には陳寿が作った創作的なお話は一切入っていない純粋な史書です。
そのため今日でも陳寿が書いた正史三国志は歴史的評価の高い書物であると
高い評価を受けております。
しかし三国志演義を書いた羅貫中は正史三国志・三国志・注を資料としておりますが、
史実7割・創作3割の割合で物語を構成している書物です。
そのため三国志演義に出てくるエピソードは大体が創作物です。
その一例を挙げると三国志の一番最初の見せ場である
劉備・関羽・張飛の三人が義兄弟の契りを交わした桃園の誓の場面です。
彼らは桜の木の下で語り合って酒を酌み交わした後、誓を立てるというお話で、
三国志を知っている人はもちろん知らない人でも知っている超有名なエピソードですが、
このお話は正史三国志に記載されておらず、創作上のお話です。
では正史三国志ではどのようにして三兄弟が生まれたのかというと、
彼ら三人は居酒屋で酒を飲んでいた時にたまたま知り合って、語り合った後に意気投合して
義兄弟の契りを結ぶことになったそうです。
演義のような劇的な誓いを立てたわけではなく、
偶然知り合って息が合ったから義兄弟になったそうです。
ほかにも赤壁の戦いで、
孔明が東風の風を巻き起こして場面や
孫呉の為に弓矢を100万本集めた話など創作物が描かれております。
そのためどのエピソードが史実で、どのエピソードが創作物なのかの判断が非常に難しいため、
気をつけて読まないと判断が付きにくいところが難点となっております。
上記三点と正史三国志の作者・三国志演義の作者の名前をしっかりと覚えてテストに備えましょう。
三国志ライター黒田廉の独り言
今回は正史三国志と三国志演義の違いについてご紹介しました。
ある歴史研究者は三国志演義を読んで、学者に説明したところ赤っ恥を書いたそうです。
三国志演義は史実も盛り込んでいるため、どの場面が創作物か判断が付きにく為、
三国志の本当のことを知りたい方には正史三国志や三国志・注を読むことをおすすめします。
「今回のテスト範囲はこれでおしまいです。
次回もまた講習があったら一緒に勉強しましょう。
それではまた」
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