この記事の目次
- 1ページ目
- 楊儀が撤退の指揮を執っている事に激怒
- 楊儀、憎き魏延を処断
- 孔明の跡を継いだ蒋琬が国のトップになる
- 幻の北伐計画【その1】
- 2ページ目
- 新たな北伐計画を立てる
- 幻の北伐計画【その2】
- 蒋琬の跡を継いだ費禕
- 常識外れの能力の高さを示す
- 北伐をさせろと言い募る姜維を押さえる
- 3ページ目
- 蜀の武将の質が低下していく
- 魏の降将に殺される
- 費禕の跡を継いだ陳祗と姜維
- 【蜀の滅亡への原因その1】蜀の政治が乱れ始める
- 【蜀の滅亡への原因その2】姜維の連年の北伐
- 北伐をいったん中止する
- 4ページ目
- 防衛態勢の再編が災いを呼ぶことに…
- 孔明の息子が国力回復に奮闘する
- 北伐再開
- 【蜀の滅びへのカウントダウン3】蜀討伐軍が出陣
- 【蜀の滅びへのカウントダウン2】姜維の通報を劉禅は聞き流す
- 姜維剣閣に籠り奮闘
- 別動隊を率いて蜀の内部に侵入を果たす
- 【蜀滅亡へのカウントダウン1】蜀の内部へ辿りついた魏軍によって蜀の城が陥落する
- 【蜀の滅亡へのカウントダウン0】劉禅は一戦もせずに降伏し、蜀は滅亡を迎える
- 三国志ライター黒田廉の独り言
蜀の武将の質が低下していく
蜀の勇将として孔明の北伐戦から参加し、
数々の戦で功績を挙げてきた王平(おうへい)が亡くなります。
彼はその戦の経験の豊かさから、益州の玄関口である漢中の守備を行っておりましたが、
彼が亡くなった事で、漢中の守備を行う者がいなくなってしまいます。
そのため、費禕が自ら漢中の守備に就くことになります。
王平が亡くなった事で、蜀の将軍の人材がまた薄くなってしまいます。
魏の降将に殺される
費禕は国政を行いながら、漢中の守備を兼ねることになります。
そして費禕が漢中守備に就いてから数か月が過ぎるころ、魏の武将が降伏してきます。
魏から降伏してきた武将の名は郭循(かくじゅん)と言います。
費禕は郭循を蜀の臣下として向かい入れ、宴会を行います。
この時郭循は費禕の隣に座り、宴会を楽しんでおりました。
郭循は宴会も終盤に差し掛かった時、
いきなり立ち上がって側にあった剣で費禕を突き刺し、殺害します。
郭循は費禕を殺害するとすぐに殺害されてしまいます。
しかし蜀の国にとっては最大の痛手となり、
費禕が亡くなった事で蜀の国は滅亡へと突き進んでいく事になります。
費禕の跡を継いだ陳祗と姜維
費禕が亡くなった後、姜維と陳祗(ちんし)が費禕の跡を継いで、
蜀のトップに立つことになります。
しかしこの人事が蜀の滅亡を早めることになります。
姜維と陳祗は二人で、蜀の国の国政を見ていかなくてはいけないのに、
姜維は費禕が亡くなるとすぐに積極的に魏へ攻撃を仕掛けるべく北伐を開始。
そのため姜維は国政を顧みることは無く、魏を討伐することに力を傾けていく事に
なります。
陳祗は姜維が北伐に夢中であるため、
彼が一人で蜀の国政を見なくてはいけなくなりました。
【蜀の滅亡への原因その1】蜀の政治が乱れ始める
陳祗が蜀の国の政治を担当していた時の劉禅は、
孔明・蒋琬(しょうえん)・費禕が補佐していた頃と変わっておりました。
孔明達が補佐していた頃の劉禅は自らの能力の無さを痛感しており、
自分のやりたい事を行わず、しっかりと勉学に励んでおりました。
また費禕の友人である董允が厳しく劉禅を躾ていた為、
劉禅もいやいやながらやりたい事をやらずに、
政治の判断もいくらかはやっておりました。
しかし董允が亡くなり宦官の黄晧(こうこう)が劉禅の側近となった事が原因で、
今までやれなかった事をやり始めます。
そのため彼は政治に興味をなくしてしまい、黄晧が政治に参加してきます。
陳祗は黄晧が政治に口を挟んできても、咎めることをしなかった為、
黄晧は調子に乗ってどんどん蜀の政治に参加。
また彼は劉禅に諫言を行わず、好き放題やらせていたことと黄晧が政治に関与した事が、
原因で蜀の政治は乱れて、蜀の滅亡へのカウントダウンが始まっていきます
【蜀の滅亡への原因その2】姜維の連年の北伐
姜維は陳祗と共に費禕の跡を継いで国政を見なければならない地位にあったのですが、
彼は魏へ攻撃を仕掛ける為、北伐を行います。
費禕が生きている間は、ほとんど北伐を行うことはありませんでしたが、
彼が亡くなると積極的に魏へ攻撃を仕掛けていきます。
費禕が亡くなった年から五年連続で北伐を敢行しますが、
この北伐はほとんど成功することなく終わってしまいます。
しかしすべての北伐が失敗してのではなく、いくつかの戦いには勝利をしております。
だが毎年魏へ攻撃を仕掛け、戦果を挙げる事が出来なかった事を悔やみ、
しばらくの間、北伐を控えて兵士の疲労を取ることに専念します。
また政治をほとんど見ていなかった為、政治が乱れている事を知ります。
そのため、姜維は国政を見て回り、国力回復に専念するようになります。
だが毎年魏へ連続的に攻撃を仕掛けていたことで、蜀の民衆達に疲労が溜まり、
蒋琬・費禕が蜀の政治を安定させ、国力を蓄えていたものが無くなって行きます
北伐をいったん中止する
姜維は自分が連年北伐を行っていたことが、
国力の低下を招いている事だと知ると、北伐を控えて国力を回復させようと考えます。
数年、北伐を中止した事で、多少国力は回復しますが、
蒋琬・費禕が居た頃までに回復することはできませんでした。
こうして蜀は滅亡へのカウントダウンを止めることができず、
滅亡へ向かってまっしぐらに進んでいく事になります。
【次のページに続きます】