子産(しさん)とはどんな人?超弱国を強国にした春秋時代の名宰相

2016年10月12日




監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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国に安定をもたらした宰相

 

 

子産(しさん)は宰相となって鄭の国政を担当し、内政改革に力を入れていきます。

彼が行った内政改革は民衆が耕している土地に着目。

当時の鄭では農地と農地に境目がなくごっちゃになっていたのが原因で、

度々争いが起こってしまいます。

そこで子産は農地と農地の間に溝などを作って上げることで境目を作り、

区画整理を行います。

この結果民衆同士が争うことなく、

しっかりと自分の農地を耕して農業に従事していきます。

また北の超大国である晋と南の超大国である楚の2国が激しく争っていたことが原因で、

鄭も巻き込まれてしまっておりました。

しかしこの2国が攻撃をやめる条約を結ぼうと考えていることを知ります。

子産は2国の間にたって両国の停戦交渉を取りまとめることに成功。

そして鄭は両国から攻撃されることも無くなり次第に国力が増強していくことになります。

 

はじめての○○を制定する

 

子産は中国史上はじめての法律を作ります。

彼は自ら作った法律を鼎に文字を刻んで鄭の国民に知らしめることにします。

そして彼の作った法律は参辟(さんへき)と呼ばれることになります。

この法律は主に下級の貴族である士を抑える法律と国民に対しての法律となっております。

子産はこの法律を制定することで鄭国を充実させようと考えておりました。

しかしこの法律を作った事で色々な批判が彼の元にやってくることになります。

 

晋の大臣から批判を受ける

 

晋の大臣である羊舌肸(ようぜつきつ)は成文法を作った事で鄭の国は滅びると予見すると共に、

子産へ「君が生きている間は君が考えた法律は十分に作用し、効果を得るであろう。

しかし君が死んでからはこの法律が民衆を縛るものとなり、

必ず鄭に禍が降りかかるであろう。

また春秋時代に滅亡した国には法律を制定したことが原因とされているのに、

なぜ君は法律を作ることで国を滅亡へと誘おうとしているのだ。

そんなにも法律は必要なのか。」と批判されます。

しかし子産は「私は才能がないので将来の事を考える力はありません。」と批判を受け入れることにします。

でもなんで子産が作った法律は他国から批判を受けねばならないのでしょうか。

 

周王朝が尊んだ道徳規範に則っていないから

 

春秋時代初期に誕生した周王朝は礼徳をもって国を収めておりました。

しかし子産や羊舌肸が生きていた時代には周王朝が行った礼徳では国を治めることが

できなくなっておりました。

なぜ礼徳で国を治めることができなくなったのか。

それは階級制度の崩壊によって下級貴族が力を持ち始めて不満が抑えられなくなっており、

上級貴族に反抗的になってきます。

そして下級貴族が上の物を尊ばなくなってきた子で礼徳が廃れていきます。

こうした状況を改善するために子産は法律を制定することで、

礼徳と言う抽象的で分かりにくい方法で国を統治するやり方を捨てて、

具体的で分かりやすい法律を制定することで下級貴族の不満を抑え、

民衆をしっかりと統治することで国に更なる安定を求めようと考えた事がきっかけで、

法律を交付することにします。

また子産の死後、あれだけ法律を馬鹿にしていた晋も法律を制定して国を統治しており、

法律の重要性を各国にアピールすることになります。

 

民衆からその死を惜しまれた宰相

 

子産はその後病にかかって亡くなってしまいます。

彼が亡くなった時民衆は集まって彼の死を悲しみ

「子産は我らをおいて亡くなってしまった。

今後この国は一体どうなってしまうのだ。」とその死を大いに嘆いたそうです。

 

春秋戦国ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

儒教の創始者である孔子先生は子産と同時代に生きていた人物でした。

彼は子産と会った事がありませんでしたが、彼は「現代にあれほど仁愛をもって国を治めていた

人物はいないであろう」と大いにその死を嘆いたそうです。

孔子先生も高い評価を与えた子産を今回はご紹介しました。

「今回の春秋時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃあまたにゃ~」

 

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