漢の時代の人が考えるあの世は、どんなイメージ?

2016年10月19日


 

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劉備

 

古来、多くの人々が「死後の世界」を考えずにはいられませんでした。

どんなにこの世で栄耀栄華を極めても最後には死んでしまう人生の理不尽。

それは生物故に百歩譲って仕方がないとしても死後、人間はどこに行くのか?

霊魂は?天国はあるのか?今も昔も、それは究極の疑問のままなのです。

はじめての三国志では、三国志の時代の人々の考えた「あの世イメージ」を

紹介していこうと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志の世界の人々が考えたあの世

天国 あの世

 

現代人がイメージする天国とは、蓮の花が咲き乱れる仏教極楽イメージか

巨大な天国の門の向うにあるパルテノン神殿的な建物がそびえる、

キリスト教風の天国のイメージでしょう。

 

しかし、三国志の時代に生きていた人々には仏教も普及しておらず

キリスト教は伝来さえしていない状態で存在しませんでした。

なので、そこには漢の人々が考えたオリジナリティ溢れる

独自の「あの世イメージ」があったのです。

 

馬王堆(まおうたい)の湿屍(しっし)の棺を覆う非衣に描かれたあの世!

 (写真引用元:1号墓の帛画 wikipedia

 

三国志の時代の人々の「あの世イメージ」を知るのに最適な史料が、

1972年、長沙馬王堆一号前漢墓から出土した棺に被せられた帛画です。

帛画はT字型をしていて、非衣(ひい)と呼ばれ長さ2メートル、

幅は一番大きな所で90センチとタオルケット並みの大きさで、

葬列の前面で旗のように掲げ死後は棺の上に掛けられていました。

 

この非衣は湿屍(特殊な状況下で遺体が保存された状態、人間が加工する

いわゆるミイラとは異なる)としても有名な軑侯(たいこう)夫人、

辛追(しんつい)の棺に被せられた物で、ここには長い間謎だった

漢の時代の人々の死生観が生き生きと描かれていたのです。

 

漢の時代の人々は死ぬと昇仙し崑崙山に行くと考えた

 

非衣には、今まさに昇天しようとする軑侯夫人と従者が描かれていました。

当時の人々の間では、人間は死後、崑崙(こんろん)山という聖山に昇っていき、

そこで、天帝である半人半蛇の女媧(じょか)の下で永遠の命を生きると考えていました。

 

崑崙山には、三つの峰があり、その周囲は弱水という湖が取り巻き、

死者が、ここを渡るには龍(龍舟)に乗らなければいけませんでした。

この弱水の底には、巨大な二匹の魚が泳いでいたり奇怪な人面の怪物がいたり

巨大な蛇や大亀が描かれています。

龍舟に乗らないと、それらに襲われるという意味なのかも知れません。

 

実際に、非衣でも軑侯夫人は杖をつき、三人の腰元と天界から迎えにきたと

見られる二人の天の官吏に付き添われ二匹の龍が持ちあげる舟に

エレベーターのように乗りながら、天に向かい進んでいくのです。

 

その龍舟には天蓋があり、天蓋の下には死を司る人面の不気味な鳥

鵩鳥(ふくちょう)が羽ばたいていますが、死を暗示しているのか?

永遠の生命を得る軑侯夫人から離れようとしているのか分かりません。

 

前漢の人々のイメージ、天国の門をくぐると祝福の鐘?

 

龍舟が昇天する先には、凸で表現された閶闔(しょうこう)があります。

これはいわゆる天国の門で、左右に天の役人がいて拱手(こうしゅ)で

軑侯夫人を迎えています。

ここで、面白いのは、その上では彪に跨った神獣が左右で紐を引っ張って

鐘をガンガン打ち鳴らしている様子が描かれている事です。

 

「パンパカパーン、崑崙山へようこそヒューッ!」

 

そういう意味だとしたら面白いですが、西洋の教会の鐘じゃあるまいし

恐らく、天帝に死者が到着したのを知らせる厳かな鐘だと思います。

 

三国志時代に盛んに造られた崖墓

 

崑崙山の信仰は、やがて、より地上より高い場所に人を葬ると、

昇仙できるという考えに変化していったようです。

そこで、豪族の墳墓は山をイメージして高くなり、

或いは、山腹を掘って崖墓(がいぼ)という墓を造るようになります。

 

この崖墓が一番盛んに造られるのが実は三国志の時代なのです。

それ以後、崖墓が造られなくなるのは、仏教が庶民にまで浸透して、

あの世のイメージが崑崙山では無くなるからかも知れません。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

この話で、まだ分からないのはお金持ちではない庶民の考える

あの世は、どんなものだったのだろうか?という事です。

庶民の間でも、儒教に基づいて先祖を祀る行事が行われていたのは

文献にはありますが、先祖がどのような世界に住んでいるか?

というような記述は出てこないからです。

 

軑侯夫人の非衣にあるような崑崙山に先祖も昇天したと考えたのか?

しかし、そうだとすると、貴族だろうと平民だろうと死んで行ける場所が

同じという事になり盛大に葬儀を執り行う意味が薄れます。

その辺りはどうなのか?今後も調べてみます。

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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戦国策

 

 

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