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この記事の目次
始皇帝、天下統一、李斯は封建制を廃止、中央集権制を敷く
紀元前221年、秦王政は、中華を統一し始皇帝と名乗ります。李斯は丞相として、遂に長年の宿願を実行に移します。それは、これまでのように各地に王族や重臣を配置して、独自に政治を任せる封建制度ではなく、各地に、役人を派遣して一人の皇帝の下で一つの法を通じて人民を治めさせる中央集権制の実現でした。
現在、多くの国が採用している政治システムも、首都に政治の中心を置いて、官吏(公務員)を派遣して統治する中央集権システムなので、李斯の統治システムは基本では、現代の社会でも通用しているのです。
始皇帝の死後、李斯は方針を誤る
始皇帝が全国巡幸中の紀元前210年に崩御すると、遺言により、その地位は長男の扶蘇(ふそ)が継ぐ事になっていました。しかし、始皇帝晩年のお気に入りの趙高(ちょうこう)が始皇帝の側にあるのを利用して遺書を改竄し、末子の胡亥(こがい)を皇帝にしようと丞相の李斯に持ちかけてきます。
李斯が本当に法家の人間なら、遺言を書き換えるなど許されませんが、扶蘇と仲が悪かった李斯は保身の為に趙高の陰謀に加担してしまうのです。
これが秦帝国の運命を決定的に誤らせる事を李斯は気がついていませんでした。
趙高が胡亥を操り李斯には悲惨な最期が訪れる
ところが全ては趙高が己の野心の為に仕組んだ罠でした。胡亥の家庭教師である趙高は、李斯よりも遥かに胡亥に親密であり権力を握ると、胡亥を宮殿の奥で酒池肉林の贅沢に耽らせ趙高にとって、都合の悪い人間は胡亥に逢わせようとはせず、表の政治を全て自分で決済するようになります。
さらには、保身の為に少しでも謀反の芽を摘もうと、王族、重臣、秦を建国した多くの人々を次々に殺してしまいました。その数は十万人とも言われています。
李斯は、ようやく過ちに気が付き、秦帝国を軌道修正しようと胡亥に何度も諫言しますが、それらは、後で趙高によりすべて捻じ曲げられて伝えられます。
いよいよ李斯が邪魔になった趙高は、楚との戦いで戦死した、李斯の長男がかつて楚に通じていたという罪をでっちあげ、高齢の李斯を激しい拷問に掛けて自白させました。李斯は息子と共に腰斬(ようざん)という腰で胴体を切り離す、残酷な刑罰に掛けられ、苦しみ、のたうちまわりながら世を去ったのです。
キングダムライターkawausoの独り言
李斯は、強い上昇志向と法こそが社会を安定させると言う信念で、ついに中国史上、最初の統一帝国、秦を完成に導きました。しかし、始皇帝の遺言を保身から書き換えるという悪事に手を染め輝かしい功積に自ら泥を塗ってしまったのです。
李斯に感情がなく本当に法そのものであったなら、こんな事も起きなかったでしょうが、実に人生は皮肉です。
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