この記事の目次
鴻門の会始まる
翌早朝、劉邦(りゅうほう)と護衛の樊噲(はんかい)、そして張良を含めた三人で、やってきます。項羽は上座に座り、彼から1段下がった所に范増(はんぞう)も座ります。ここで劉邦は項羽に敵対する意思がなかったことを淡々と説明した後、頭を下げて彼に敵対したと誤解させたことを陳謝。
項羽はこの劉邦の陳謝の姿を見て、彼を許そうと考えているかもしれないと范増は考えます。そして劉邦の陳謝の会見が終わると宴会が開始されます。
暗殺計画その1:項羽に合図を出すが・・・・
劉邦の陳謝会見が終わると酒や珍味が出され、宴会が開催されます。范増は劉邦を暗殺するべく動き出します。彼は項羽へ合図を幾度も送りますが、暗殺する気配を見せません。項羽は宴会中も劉邦が卑屈な態度を取っている事、彼を暗殺する気が亡くなってしまいます。この項羽の気配を感じ取った范増は、宴会を抜け出して第二計画を発動するべく動き始めます。
暗殺計画その2:項荘に剣舞を舞わせる
范増は項荘(こうそう)を見つけると「殿は劉邦を殺害する気がなくなってしまったようだ。項荘よ。昨日打合せしたとおり劉邦殺害を頼む。」と要請します。この言葉を聞いた項荘は「うぬ。」と頷き、宴会場へ戻っていきます。
項荘は宴会場へ入ると項羽へ「殿。ただ飲んでいるだけではつまらないと思い、下手ですが、私の剣舞をご覧にいれて場を盛り上げたいと思います。」と提案。この提案を項羽は快く受け入れ、項荘に剣舞を舞わせます。
范増の計画は打ち崩される
項荘はうまくないと卑下していたが、美しい剣舞を皆の前で披露します。この姿を見ていた項羽の従兄弟である項伯(こうはく)は項荘の剣舞に殺気を感じて、自ら剣を取って立ち上がり、剣舞に入っていきます。項伯は自らの身を盾にして、項荘が劉邦を斬りつけるのを妨害。なぜ項伯は項羽の従兄弟であるのに劉邦を身を呈して守るのでしょうか。
張良へ恩義を返す
項伯は以前張良に助けてもらった恩を返すために、昨日劉邦の元にいる張良へ「項羽軍の攻撃があるから逃げよ」と助言します。しかし張良は「項伯殿。主劉邦へあって直に伝えて欲しい」と懇願。
この願いを聞いた項伯は劉邦と会い、明日項羽軍の総攻撃があることを教えます。劉邦は項羽軍の攻撃があるのを知り、大いにうろたえてどうすればいいのか張良へ助言を仰ぎます。すると張良は「項伯殿に助けてもらいましょう。よろしいですか」と項伯へ提案。この進言を聞いて項伯は驚きますが、命の恩人である張良の願いを無碍に拒否することもできずに承諾してしまいます。
その結果、鴻門の会で自らの身を呈して劉邦を守ることになるのです。項伯がその身を呈して劉邦をかばってくれたおかげで、范増が計画した劉邦暗殺計画は失敗に終わってしまいます。その後劉邦は厠に立ったまま自陣へ逃走し、命を拾うことになります。
范増は項羽や劉邦が座っていた宴会場で一人残り、劉邦から送られた贈り物を地面に叩きつけ、「あの小僧と一緒にやっていられるか。これで項羽の天下は劉邦へと移っていき、項一族や我ら家臣はあやつに捕まってしまうことになってしまうのか」と激情を一人で、ぶちまけておりました。
陳平(ちんぺい)の奇策によって項羽の元から離脱
その後項羽は劉邦と天下をかけて争うことになります。戦はいつも項羽が劉邦軍を完膚なきまでに叩きつけて大勝利を収めますが、中々彼を捕らえることができませんでした。こうした戦いが続いていくことになるのですが、ついに劉邦を捕らえる最大のチャンスが訪れます。それは劉邦を滎陽城へ篭城させることに成功し彼を追い詰めます。
この時劉邦の軍師となっていた陳平は劉邦から多額の金を受け取り、項羽軍の主たる武将達へ離間の策をかけていきます。疑い深い項羽は陳平がかけた離間策に引っかかってしまい、重臣であった范増を疑いの目で見てしまうことになります。
その後范増は項羽へ策を提案しますが、受け入れてもらえませんでした。このことがきっかけで范増は彼から疑われていることを知ると項羽へ「天下は大王がほとんどを手中に治めており、今後私の出番はないでしょう。
あなた様が自ら采配を取れば十分ですので、私は郷里へ帰らせてもらいます。」と言い放って故郷へ帰ることにします。彼は故郷へ帰る途中で項羽に対する不満と怒りが爆発した結果、病を発してしまい亡くなってしまいます。
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三国志ライター黒田廉の独り言
司馬遷は項羽が劉邦に敗北した原因として「劉邦は張良や陳平などの智謀の士を使いこなせたから天下を手に入れることができた。しかし項羽は范増一人ですら使いこなせないのだから、天下を握ることができなかったのである。」
と敗北原因を史記に記しております。もし項羽が范増の進言の聞いていれば、劉邦が天下を取ることができたのか怪しいところであったのではないのでしょうか。
「今回の楚漢戦争時代のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃあまたにゃ~」
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