高祖?劉邦、太祖?劉邦、正しいのはどっちだ?


 

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劉邦

 

三国志演義、もしくはそれをベースとした題材のものでよく劉備(りゅうび)が言っているのが「高祖劉邦(りゅうほう)の血を引く者」。この劉邦とは項羽(こうう)と戦い72回負けたのか72回目で勝ったのかで天下を取り、漢王朝を開いた劉邦のことです。

 

しかしこの「高祖」って何だろう?と一度は考えたことはありませんか?

 

実はこの高祖には面白いお話がありますので、ちょっとご紹介していきましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備のご先祖様

土いじりをする劉備

 

さて、前述したように劉備は「高祖の血を引く」と言っていますが、これはあくまで自称。これが皇帝によって認められたのはあくまで三国志演義の中のお話です。

 

ですがこの劉備の言い分も決して荒唐無稽(こうとうむけい)ということではなく、劉家は子供、孫が多すぎて「家の名前が劉なら漢王朝の末裔の可能性がある」という事態でもあったのです。

 

個人的には漢王朝の末裔であるならドラマチック、末裔でなくてもそれを信じて生きている劉備はロマンチック、そうじゃなくてもそれを利用したとあれば狡猾(こうかつ)ック(?)なのでどの説も面白いと思ってしまう筆者です。

 

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劉邦の最期

広武山決戦時の劉邦

 

では時代はぐーんと戻って、そうして進んで、劉邦の最期に。一大英傑の一人である劉邦もまた、その生涯を終えました。彼の死に群臣たちは涙しながらも平民から身を起こし、乱世を平定し、漢の太祖とおなりになった。その功績はもっとも高きものであるため、高皇帝と贈り名しようと尊号を奉ります。

 

……お気づきになられましたか?

 

そう、劉邦の廟号(びょうごう)は太祖なのです。

 

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はじめての漢王朝

 

高祖はどこから来た?

劉備

 

廟号とはお墓に刻む名前のようなもので、先祖と共に並べられる名前です。似たようなものに諡号(しごう)がありますが、こっちはその名の通り「贈り名」であり、生前の評価に基づいて付けられる、おくられる名前です。

 

これに照らし合わせると劉邦は正しくは「太祖」と言うべきな気がしますよね。

 

しかし三国志でも劉邦は高祖と呼ばれている……やはり劉備は劉邦の血は引いていなくて間違ったのか……?

 

色々な憶測が出てきそうになりますが、この太祖と高祖についてはきちんとした考察があるのでご安心下さい。因みにぶっちゃけると史記でも「高祖」と呼ばれています(ネタバレ)。

 

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高祖と太祖

劉邦

 

さて高祖と太祖の件ですが、高祖という廟号は、(いん)王朝の際に既にありました。そして劉邦は贈り名として「高皇帝」と奉られました。

 

また前述したようにしたように史記でも既に劉邦は高祖と呼ばれています。

 

『史記』の完成という使命を貫いた司馬遷

 

これははっきりとはしていませんが、司馬遷(しばせん)、もしくは司馬遷が引用した書物で高祖と太祖、高皇帝がごっちゃになってしまい、最終的に「高祖・劉邦」とされてしまったのではないか、と言われています。

 

このため劉邦は「高祖劉邦と呼ばれるし広く知られているけど実際に廟号は太祖なので高祖は通称」という大変ややこしい状態が生まれてしまったのでしょう。つまり「正確に廟号で呼ぶと太祖劉邦だけど、通り名は劉邦だしもうそれでいいんじゃないかな!」ということです。

 

史記でも高祖って呼ばれてるし子孫の劉備も高祖って言ってるからそれでいいよね!(思考放棄)

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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