三国志や曹操を分かりやすく紹介|はじめての三国志

menu

執筆者:黒田廉

今川家のポンコツではなかった今川義元の前半生に迫る!

この記事の所要時間: 214




おんな城主03b 今川義元セリフあり

 

みなさん突然ですが、今川義元のイメージはどのような印象を持っていますか。

戦国無双などで知られる公家の服をきて蹴鞠をけっている様子を想像している方が

多くいらっしゃるのではないのでしょうか。

しかし彼はそんな見た目をしていたわけではなく、かなりしっかりとした武将であったのを

知っていましたか。

今回はそんな義元の幼少期から家督相続までをご覧に入れたいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:おんな城主 直虎を100倍楽しむ!今川に呪われてしまった井伊家宗家




お寺へGO!!

寺 f

 

今川氏親(いまがわうじちか)の息子として誕生することになります。

だが今川義元は氏親の何番目の子供かわかっておりません。

それの原因はしっかりとした資料が残っていないからです。

そのため彼は三男として生まれているという説やいやいや義元は四男か五男だったのではないか

という説もあるそうです。

しかし一つ言えることは彼は今川家の嫡男ではないということです。

そのため彼は父・氏親から「ポケモンGOじゃなくてお寺へGOしてきてね。

スマホないからGPS使えないけど頑張ってね」と言われ、4歳で善得寺へ行くことになります。

この善得寺へ行ったことが義元にとって運命の出会いが待っておりました。




太原雪斎に修行をつけられる

竹 f

 

GPSがないため幼い義元は自力で善得寺に向かうことになります。

そしてここで彼は太原雪斎(たいげんせっさい)という和尚に付けられて、

修行に励むことになります。

そして彼は7歳にして得度をして梅岳承芳(ばいがくしょうほう)という僧名で

活動していくことになります。

彼は得度した後京都の建仁寺へ師匠である太原雪斎と共に向かいます。

この建仁寺で禅の修行を積みながら文化的素養も培われていくことになります。

 

関連記事:仏門教師・太原雪斎とはどんな人?今川義元の幼少期・青年期を支えた坊主軍師

 

歌会に参加

禅 竹 f

 

義元は建仁寺で禅の修行を積みながら駿河(するが)へ行たりしています。

駿河へ行った際に公家衆と歌会を開いており、

禅の修行だけでなく文化的素養を身につけていることが明らかになっております。

また彼は京都にいるときにも公家と交わって情報収集を行ったりしております。

このような生活を続けている最中、突然駿河にいる兄氏輝から手紙が届きます。

この手紙の内容は「武田家が駿河侵攻を企んでいるようなので、

お前は至急駿河に帰還して善得寺に入るように」と書かれておりました。

この手紙を師匠である太原雪斎にも見せて帰国したほうが聞くと雪斎は

「氏輝様のいうことを無視するわけにも行きますまい。

すぐに支度してここを立ちましょう。」と言って京都の生活を捨てて、

故郷である駿河へ戻っていくことになるのです。

 

師匠と母の助けを借りて今川家当主へ

劉邦 竹 冠

 

義元は故郷である駿河に到着すると兄へ帰国の報告をしてから善得寺へ向かいます。

この地で禅の勉強をしていると駿河の今川館から急報が届きます。

その内容は「今川氏輝さま。次男の彦次郎さま死す」との内容でした。

この内容に驚いた義元は雪斎にも手紙を見せます。

雪斎も驚いておりましたが、彼はすぐに義元の母親である寿桂尼に相談して

義元を仏門から還俗(げんぞく)させて義元を名乗らせて

今川家の当主として氏輝の跡を継がせようと行動を開始します。

しかし今川家には義元の兄がおり、

この兄が氏輝の跡を継いで今川家の当主になろうと考えて挙兵。

義元も兄に負けるわけには行かないため兄貴討伐のために軍勢を率いて戦いを挑みます。

この戦いで義元は勝利することになるのですが、この勝利を得ることができたのは雪斎と寿桂尼

そして同盟国である北条家の支援があるおかげでした。

何はともあれ義元は正式に今川家の当主として君臨することになるのです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

黒田廉

 

義元は戦国乱世においてけっしてポンコツな武将でないでしょう。

それを証明するための証左として仏門に入っている時に禅の修行や文化的素養、

そして武経七書(ぶけいななしょ)と言われる兵法書をよんでいたことが挙げられます。

また彼が巷で噂されている通りのポンコツ武将なれば、

今川の新当主になることはできなかったでしょう。

ポンコツがなれるほど戦国時代は甘くはないのですから・・・・。

 

参考文献 戦国大名今川氏と葛山氏 吉川弘文館 有光智學著など

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:楽しみながら戦国時代のエピソードを学べる歴史マンガ3選

関連記事:おんな城主 直虎を100倍楽しむ!今川に呪われてしまった井伊家宗家

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

投稿者の記事一覧

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

関連記事

  1. 【華麗なる名門一族】袁紹のおじいちゃん達ってどのくらいすごい人だ…
  2. 【衝撃の事実】孫策の○○で孫呉が滅びる原因となった!
  3. 曹操の人材登用法が魏国の安定をもたらす!能力主義者・曹操の二段構…
  4. 【燕の名将・楽毅の名言】古の君子は交わりを断つとも悪声を出さず
  5. 孟宗とはどんな人?孟宗竹(もうそうちく)の由来は呉の親孝行もので…
  6. 述志の令をもとに曹操の若かりし頃の夢を考察してみる
  7. 鮑勛(ほうくん)とはどんな人?自分の意見をまっすぐに答え曹丕に恨…
  8. 西施(せいし)とはどんな人?中国四大美女の一人であり復讐の道具と…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 赤壁の戦い後の江陵攻防戦(曹仁VS周瑜)
  2. 陸遜(りくそん)は孫権配下の前は何をしていたの?
  3. 王濬(おうしゅん)とはどんな人?呉を平定し、三国時代の終焉させた功労者【晋の将軍列伝】
  4. 袁術は実はベトナムに逃げ延びていた!?【歴史ミステリー】
  5. 蜀のブサメン軍師、龐統は魯粛のスパイだった?劉備と龐統、仮面主従の真実
  6. 炙り焼肉にソーセージ?とりあえずビールと言いたくなる三国時代の食事

三國志雑学

“劉備漫画"

ピックアップ記事

おすすめ記事

【シミルボン】忘年会の余興にいかが?三国志時代に流行したスポーツ撃壌 壮絶、血を吐きまくる三国志武将ランキング 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース18記事【3/6〜3/13】 根拠のない夢を信じないリアリスト曹操 【キングダム】桓騎の死に方を史実を元に3つネタバレ予想 やり過ぎー!!!元祖、曹操オタクは陸遜の孫だった!?陸雲(りくうん)ってどんな人? 【誕生秘話】西遊記は実話だった!?一人の僧侶の苦難の旅を記した記録から始まった 張飛に怒鳴られて落馬して死んだ武将、曹丕の粋な計らい等、三国志を彩る変わった武将たち

おすすめ記事

  1. 馬超(ばちょう)蜀に入った時にはピークを過ぎていた?
  2. 士仁(しじん)は何で関羽を裏切ったの?呉へ降伏してしまった蜀の武将
  3. 鍾会(しょうかい)ってどんな人?蜀を滅ぼして独立を目指した男
  4. 【中華版聖闘士○矢】集まれ!光武帝と雲台二十八将を全員紹介
  5. 藺相如(りんしょうじょ)とはどんな人?三大天の一人!趙の名宰相であり廉頗のかけがえのない親友(3/3)
  6. 張嶷(ちょうぎょく)とはどんな人?異民族討伐のプロフェッショナルだった蜀の将軍【前編】
  7. キングダムの史上最悪の宦官、趙高(ちょうこう)はどうやって浮き上がる?
  8. 美髯公とは何?ヒゲを見るだけで三国志がわかる!男のシンボル『ヒゲ』はどこから来てどこへ行くのか。

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP