架空戦記
北伐

はじめての三国志

menu

執筆者:黒田廉

黒田官兵衛は本当に息子の活躍を苦々しく思っていたの?

この記事の所要時間: 437




黒田官兵衛

 

豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛(くろだかんべえ)

彼は関ヶ原の戦いの時が終わった後、息子長政が領地に帰国した際に

「家康殿は私の手を三度握って感謝してくれました。」と自慢話をしてきます。

この時官兵衛は「どっちの手を握ってきたのか」と訪ねます。

すると「右手です」と長政は答えます。

官兵衛は長政の言葉を聞いた後「お前の左手は何をしていたのだ」と尋ねたそうです。

この言葉の真意はお前の左手はなんで家康を刺さなかったのかと言う意味をほのめかしているのですが、

この逸話は後に作られている創作のおはなしです。

しかし何もないところからこのような話が出るとは考えに国のですが、

本当に官兵衛は長政の活躍を苦々しく思っていたのでしょうか。

今回は官兵衛は果たして息子長政の活躍を苦々しく思っていたのかどうか

考えてみたいと思います。

 

関連記事:【軍師特集】三国志、中国史、日本史にみる君主を支えた敏腕軍師たち

関連記事:軍師ってどんな職業なの? <三国志豆知識>




長政の活躍とは:1福島正則を味方につけた

黒田官兵衛

 

黒田官兵衛が息子である黒田長政の活躍を苦々しく思っていたのかを考える前に、

息子長政の活躍を知らなくてはなりません。

長政は関ヶ原の戦いの時に西軍へ内応工作を行った活躍が認められて、

関ヶ原の戦い後52万石の大大名へ出世することになります。

長政は関ヶ原の戦いの時にどのような活躍をしたのでしょうか。

一つ目は福島正則を東軍へ参加させたことです。

福島正則は豊臣秀吉の古参の家臣で、豊臣家に対しては非常に忠誠心の高い人物でした。

そのため彼が西軍へ味方してしまえば徳川へ味方しようとしている者達も正則に引きづられて、

豊臣へ味方してしまうかもしれません。

そこで長政は正則に対して説得を幾度も行い豊臣へ味方しないように工作を行います。

この工作は成功し、徳川家康が主催者として今後の方針を決める小山会議では

正則が東軍諸将を前にして家康に味方することを誓います。

正則が味方することを宣誓したことで、

東軍に参加していた豊臣恩顧の大名達が家康へ味方することになるのです。




長政の活躍とは:2吉川広家を味方につけた

日光 ピンク f

 

家康は関ヶ原の戦いが行われた時敵軍である毛利軍が陣取っている山の近くに本陣を据えます。

もしこの時西軍に参加していた毛利軍が山を降りて家康本陣めがけて攻撃を仕掛ければ、

一瞬にして関ヶ原の戦いは終了することになったでしょう。

しかし毛利軍は家康本隊へ攻撃を仕掛けることなく関ヶ原の戦いを終えることになります。

なぜ毛利軍は攻撃を仕掛けなかったのでしょうか。

それは毛利軍の実質的な総大将であった吉川広家に対して、

黒田長政が寝返り工作を行っていたからです。

吉川家と黒田家は秀吉が天下統一する前から仲がよく、

吉川元春(きっかわもとはる)と黒田官兵衛も非常に親密な間柄でした。

元春の跡を継いだ広家の時代になっても両家の親密な間柄は色褪せることなく続いており、

関ヶ原の戦いが始まる前に広家から長政へ寝返りたいとの申し出があり、

長政はこの申し出を家康に取り次いだことがきっかけで、

毛利軍が関ヶ原の戦いが行われているときは一切軍事的な行動を起こすことはないと

徳川へ密約を行っております。

 

長政の活躍とは:小早川秀秋を味方につけた

 

関ヶ原の戦いで徳川家康を勝利へ導くことができたのは、

小早川秀秋の寝返りがあったからといっても過言ではありません。

彼が西軍から東軍へ寝返りを行ったきっかけを作ったのも長政の活躍があったからです。

長政は小早川秀秋へ工作を行っており、この工作が成功したことがきっかけで秀秋は

東軍へ寝返ることになります。

上記三つが関ヶ原の戦いにおける長政の活躍です。

 

しかしこれらの活躍は官兵衛が事前に工作していた?

 

上記三つの工作ですが、一つ目の福島正則へ工作を行った事以外、実は長政の父親である

黒田官兵衛が関ヶ原の戦いが起きる前に事前に工作をしていた事が、

資料によって明らかにされています。

官兵衛は吉川元春の時代から仲が良かったこともあり、元春の息子である広家に対して

事前に「豊臣と徳川が戦うことになれば徳川へ味方するように」と事前にアドバイスを行っており、

秀秋に対しても一説によれば官兵衛が事前に寝返りを促すような根回しをしていたそうです。

 

長政が立てた功績の半分以上に官兵衛が関与しているのであれば・・・・

月 f

 

もし官兵衛が長政の工作に半分以上関与しているのであれば、

関ヶ原の戦いの後、息子の活躍を苦々しく官兵衛が思うのでしょうか。

レンは官兵衛が息子の活躍を苦々しく思っていなかったと考えます。

その理由として九州での官兵衛の活躍が挙げられます。

 

九州を数ヵ月で席巻するも家康の命令で戦いをやめた官兵衛

徳川家康 f

 

黒田官兵衛は東軍・西軍が集結することになると息子長政を見送り、

自らは領地である豊前・中津城(なかつじょう)で留守番を行っております。

しかし彼は自らが一生懸命貯めた金銀財宝を消費して募兵を開始。

この募兵の結果、留守部隊と合わせて約4000人ほどの兵力を抱えることに成功します。

官兵衛は事前に徳川家康へ九州の西軍諸将の領土攻略を行っても良いとの約束をもらっていることから、

募兵を行って兵力を確保するとすぐに西軍諸将の領土へ攻撃を行います。

この結果、九州の東軍に味方していた鍋島、加藤らと合流し、

西軍に属していた立花・小早川、大友などを降して薩摩(さつま)の島津攻略へ向かいます。

だが島津攻略を始めようとした矢先に家康からの攻撃中止命令が届いたことがきっかけで、

彼は軍勢を解散して本拠地である中津城へ帰還しております。

もし彼に野心があるのであれば家康の命令を聞く必要はないと思いませんか。

官兵衛は九州のほとんどを味方につけており、

島津も当主島津義弘が徳川軍にボコボコにされながらなんとか帰還している有様で、

徳川に恨みこそあれ味方する理由はないでしょう。

ならば官兵衛の交渉力で島津を説得して仲間に引き入れてしまえば九州制覇は完了です。

そして中国の毛利とは秀吉時代からの付き合いであり、

吉川広家を動かして毛利軍の協力を得れば中国・九州地方の兵力を率いて家康と戦うことも

可能であったはずだと考えます。(レンの勝手な予想ですが・・・・)

官兵衛がレンの予想や他のことを考えて家康に楯突くことをしなかったのは、

官兵衛に野心がない証拠ではないのでしょうか。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

黒田廉さん02b 背景あり

 

官兵衛に野心がないから息子の活躍を苦々しく思っていないとレンは考えます。

関ヶ原の戦いの時に官兵衛が吉川・小早川などの諸将へ事前に工作していたことや

九州地方のほとんどを手中に収めていたのにも関わらず、

家康の停戦命令を聞いて戦をやめたことを考えると官兵衛には野心がないと考えるのが妥当です。

黒田官兵衛に野心がないのになぜ関ヶ原の戦いにおける息子の活躍を苦々しく思うのでしょうか。

もし長政の活躍を本当に苦々しく思っていたのであれば、長政の謀略面にではないのでしょうか。

官兵衛は秀吉の軍師として謀略に長けているので、

長政へ「もうちょっとなんとかならんのかお前の調略は!!」と

不満を持っていたのではないのでしょうか。

上記を理由に官兵衛が不満を持っているのであれば納得がいきます。

例えば小早川秀秋の寝返りにしても、彼が寝返ったのは関ヶ原の戦いの最終局面です。

官兵衛に言わせれば「もう少し早めに彼を寝返らせれば、

もっとスムーズに東軍の勝利が決まっていただろう。詰めが甘いぞ長政!!」と

いうことなどこれら謀略面に不満を持っていたのではないのでしょうか。

結論として官兵衛が苦々しく思っていたのは、

これら長政の謀略面に対しての不満を持っていたと考えることができるのではないのでしょうか。

皆さんはどのように考えますか。

 

参考文献 黒田官兵衛 「天下を狙った軍師」の実像 諏訪勝則著など

 

軍師官兵衛に関する記事一覧:軍師官兵衛全記事

関連記事:黒田官兵衛の肖像画で頭巾を付けている理由がわかる!天才軍師・官兵衛の地獄からの生還

関連記事:竹中半兵衛重治と黒田官兵衛はどっちが凄かったの?

 




黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

投稿者の記事一覧

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

関連記事

  1. 【曹叡なんか目じゃないぜ】キングダムの秦王政は土木工事が大好きだ…
  2. 隗より始めよとはいったい何?最強の自薦方法だけど就職活動には使え…
  3. 【正史三国志から見る】謀反人にされてしまった魏延は本当に反逆する…
  4. 秀吉のDIY?墨俣城(すのまたじょう)って本当に一夜で造られた?…
  5. 【センゴク】信長の仇討ちで秀吉についたのは、神戸、丹羽、掘、蒲生…
  6. 【秦の宰相】呂不韋の人生をかけた計画に危機が訪れる
  7. キングダムで秦の天下統一の鍵を握っている斉の国って誰が建国したの…
  8. 傅嘏(ふか)とはどんな人?時代を謳歌していた三人とは付き合いたく…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 洛陽から発見された玉璽は本当に価値があったの?
  2. 【岳飛が熱い】「尽忠報国」と背中に彫った救国の英雄・岳飛(がくひ)Part.3【完】
  3. 【二人の歴史家】姜維の評価をした孫盛と裴松之が下した剣閣戦の評価
  4. キングダム 516話 ネタバレ予想:城を追い出された難民はどこへ向かうの?
  5. 曹丕、女心を詩で歌う ごめんねディスしてキャンペーン
  6. 51話:武将を惹きつける人間磁石 劉備玄徳

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志の書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

仏門教師・太原雪斎とはどんな人?今川義元の幼少期・青年期を支えた坊主軍師 媧燐(かりん)は実在した?ベトナムの女桀と呉の陸胤の戦いの意外な決着 諸葛孔明が目指した軍師・管仲は、結構性格が悪い 劉備より先に五斗米道の教祖・張魯が漢中王になった可能性が浮上 第六天魔王・織田信長は本当に天下統一がしたかったの? 試験に出ます!九品官人法(きゅうひんかんじんほう)の理想と弊害 張羨(ちょうせん)とはどんな人?天下分け目の荊州合戦、劉表と争った南郡の支配者 孟嘗君(もうしょうくん)とはどんな人?戦国七雄に絶大な影響力を持った戦国四君【青年編】

おすすめ記事

  1. ゴルゴ13もびっくり!三国志のスナイパー武将・龐徳・太史慈・呂布
  2. 5話:頓挫する王莽の新と、後漢王朝の復活
  3. 顧夫人とはどんな人?小覇王・孫策の娘の謎に満ちた生涯
  4. とっても皇帝になりたかった袁術
  5. 【ネオ三国志】第9話:呂布の覚醒と劉備軍の降伏【蒼天航路】
  6. 劉備も関羽もイスラム教徒?中東シリアで流れる三国志アニメ
  7. 【第2回 幻霊物語~爆裂三国バトル~】あの袁●が仲間に!攻略が進む!
  8. 古代中国のコペルニクスは孔明だった?彼はなぜ天文学を学んだの?

はじさん企画

李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
PAGE TOP