曹操孟徳特集
夷陵の戦い




はじめての三国志

menu

執筆者:黒田廉

出雲の麒麟児・山中鹿之助の青年期に迫る

この記事の所要時間: 258




 

中国地方は尼子氏と大内氏の両巨頭がしのぎを削って戦っておりました。

しかし大内氏が陶晴賢(すえはるかた)に討ち取られ、陶氏が毛利元就(もうりもとなり)との戦で

壊滅すると毛利氏が勢力を拡大していくことになります。

出雲の大勢力であった尼子氏も毛利氏によって

本拠地月山富田城(がっさんとだじょう)を陥落させられてしまいます。

こうして尼子氏の勢力は消滅したかに見えましたが、一人の忠臣が尼子氏再興をするべく

奔走することになります。

その人物の名を山中鹿之助(やまなかしかのすけ)と言います。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:仏門教師・太原雪斎とはどんな人?今川義元の幼少期・青年期を支えた坊主軍師




幼少期から剛勇をふるう鹿之助

竹 f

 

山中鹿之助は尼子家臣である山中幸満(やまなかゆきみつ)の息子として誕生します。

彼は幼少期から兵法書などを読みあさっており、軍に対して強い憧れを抱いておりました。

その彼は16歳の時に一騎打ちで敵将の首を見事上げて輝かしい初陣を果たすことになります。

こうして鹿之助の名前は尼子家中にも広まっていくことになります。

 

殿でも活躍する鹿之助

 

鹿之助は尼子家中でも屈指の猛将としてその名を轟かせることになります。

彼の戦上手は戦場での一騎打ちだけではなく殿においてもその能力が発揮させることになります。

毛利氏は尼子氏を倒して中国地方の覇者たる地位を手に入れるため月山富田城を包囲するため、

月山富田城近辺になる支城郡を攻略するべく攻撃を開始します。

尼子氏も毛利軍の支城攻撃をただ黙って見てるわけにいかず、救援軍を派遣。

しかし尼子軍が支城救援のために出した軍勢は間に合わずに陥落してしまいます。

そして毛利両川の吉川元春(きっかわもとはる)と小早川隆景(こばやかわたかかげ)の

軍勢が尼子軍に猛攻を仕掛けてきます。

尼子軍は支城救援軍に参加していた山中鹿之助を殿に据えて

本隊は月山富田城へ帰還することにします。

鹿之助は200人の兵で殿を任されると猛攻を仕掛けてくる

吉川・小早川の軍勢に対して果敢に攻撃を仕掛けて、

両軍が退いた隙に一気に退くことを幾度か行い無事に月山富田城へ入城します。

鹿之助は殿の時の戦いで毛利両川の軍勢を七度も追い返しております。

武勇に優れている鹿之助を見た尼子家臣は鹿之助のことを「出雲の麒麟児」と

言って褒めたたえます。




激戦:月山富田城攻防戦

炎 s

 

毛利軍は月山富田城の支城郡をひとつずつ丁寧に攻略していき、ついに尼子氏の本拠地である

月山富田城攻略へ向けて攻撃を開始します。

鹿之助もこの戦いに参加して毛利軍迎撃のために城門守備を任されます。

毛利軍は激しい攻撃を幾度も行っていきますが、鹿之助は攻め寄せてくる毛利軍を迎撃して

幾度も追い返すことに成功します。

毛利軍は鹿之助らの活躍によって月山富田城攻略戦は長引いていくことになります。

この激戦と言われる月山富田城攻防戦の最中、鹿之助は毛利軍の猛将として名高い品川大善

(しながわだいぜん)と一騎打ちを行い見事討ち取ることに成功。

この戦いに勝利したことで尼子軍の士気は一気に上昇していくことになります。

しかし毛利軍度重なる猛攻によって月山富田城の将兵は死傷していきます。

また支城郡が全て奪取されたことで補給が滞り始め、月山富田城の兵糧がすくなっていきます。

この状況を知った尼子家の当主義久は毛利軍に降伏することを申し入れます。

この申し入れは受理され、尼子氏は毛利家に降伏。

鹿之助は浪人となってしまうのです。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

黒田廉さん02b 背景あり

 

鹿之助は尼子氏の本拠地落城によって浪人になってしまいます。

そして彼は月山富田城の近くで三日月に向かって「我に七難を八苦を与えたまえ、

そしてこの七難八苦をクリアしたならば尼子氏再興を許可していただきたい」と

お願いします。

このお願いをした後彼は尼子再興へ向けて奔走することになります。

 

参考文献 洋泉社 消えた戦国武将とその後など

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:楽しみながら戦国時代のエピソードを学べる歴史マンガ3選

関連記事:おんな城主 直虎を100倍楽しむ!今川に呪われてしまった井伊家宗家

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

投稿者の記事一覧

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

関連記事

  1. 曹操の後継者問題で判断に迷ったのは儒教と文学に原因があった?
  2. 張翼(ちょうよく)ってどんな人?歴代丞相と共に北伐へ参加した蜀の…
  3. サンクトペテルブルク以東最大と言われた大阪城を建築した秀吉の狙い…
  4. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第21話「ぬしの名は」の見…
  5. 常林(じょうりん)とはどんな人?あの司馬仲達が頭を下げて接した政…
  6. 【センゴク】丹波の反乱と松永久秀の反乱
  7. 【春秋戦国時代の名言】俺は卑怯な真似はしない by 宋襄の仁
  8. 木牛流馬って何?孔明の発明で輸送問題が解消し北伐で大活躍?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 【匈奴にも名言は存在していた】冒頓単于の名言「地は国の本なり」
  2. 聶栄(じょうえい)の弟の名を歴史に残すための執念がスゴイ!千里の道をいとわずやってきた聶栄
  3. 西郷どんキャスト表「島津斉彬」「坂本龍馬」の配役は誰?
  4. 張遼の墓は存在するの?中国の三国志観光スポット旅行
  5. 三国志の時代のお茶は、全然人気が無かったってホント?
  6. 【春秋戦国時代の謎】どうして秦が天下統一することができたの?【法律編】

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

島津斉彬は辞世の句を残しているの? 軍略にも才能を発揮した蒋済(しょうさい)の進言集 馬超には愛馬がいたの?西方の雄・馬超の愛馬に名前をつけてみた 【週刊文春も驚き】後漢時代のメディア事情はどうなっていた?後漢時代の立て札・扁(へん) 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース37記事【1/30〜2/5】 大胆仮説!孔明が口ずさんだ梁父吟は芝居のセリフだった!? 関帝廟のご利益ってなに?神様の名前は「関聖帝君」 【韓信の恩返し】受けた恩はしっかりと恩で返す器の大きい韓信

おすすめ記事

  1. 群雄の名言から知る三国志の世界【小覇王孫策の名言】
  2. 孫権は何であれほど合肥城を狙い続けたの?理由をわかりやすく解説(前半)
  3. 皇甫嵩(こうほすう)とはどんな人?後漢最後の名将と言われた将軍
  4. 【シミルボン】あちこちにスローガンが一杯?賑やかな三国志時代の壁
  5. 【おんな城主 直虎を見逃した方必見】第二話「崖っぷちの姫」の見どころ
  6. 善悪関係なし!6人の君主を渡り天寿を全うした軍師賈詡の生涯!
  7. 衝撃!高平陵の変の黒幕は司馬師だった!
  8. 張既(ちょうき)とはどんな人?反乱の多かった雍州・涼州の二州を見事に統治した名政治家

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“西遊記"
PAGE TOP