キングダム
黄巾賊




はじめての三国志

menu

執筆者:黒田廉

武田信玄のおびき寄せに乗った哀れな徳川家康

この記事の所要時間: 213




真田丸02(武田信玄)

 

三国志の時代の大きな戦いの一つである石亭の戦いでは、呉の武将が魏へ寝返ると嘘をついて

魏軍をおびき寄せたところを呉軍が包囲して大打撃を与えております。

これに似た戦略を武田信玄も徳川家康に対して使用していたのを知っておりましたか。

信玄が使った戦術は寝返りなどではなく、

家康を挑発することでおびき寄せることに成功しております。

 

関連記事:暴走しているオヤジを追放して当主に就任した武田晴信(たけだはるのぶ)

関連記事:山本勘助(やまもとかんすけ)は実在したの?今まで架空の人物だとされていた勘助の謎




西上作戦発動

 

武田信玄は遠江(とおとうみ)の大半と三河(みかわ)の一部を支配地として組み込むことに成功。

そして彼は一度撤退して甲斐へ戻ってきます。

彼は甲斐へ帰還してから、信長包囲網の諸大名に対して「西上作戦を実行する」との旨を伝えて、

包囲網の諸大名の士気向上に努めるとともに、

信玄最大のライバルであった上杉謙信に対しても工作を行い、

自らがいない間に攻めてこないように手当を行います。

こうして全ての準備が整った信玄は大軍を率いて甲斐を進発します。




徳川家康の斥候隊を蹴散らせ

 

信玄は甲斐を出陣すると一気に三河へ向けて驀進します。

彼は遠江へ入った時に三河の地理に詳しい者を加えて先導させてることで、

時間を短縮して三河へ向かいますが、遠江の中心を通り過ぎていくと徳川家の斥候隊と発見。

信玄は諸将に命じて徳川軍の斥候隊を蹴散らすように命じます。

この部隊は徳川の斥候隊を追い続けて行きますが、殲滅することができませんでした。

その原因は徳川きっての勇将である本多平八郎忠勝(ほんだへいはちろうただかつ)や

大久保忠世(おおくぼただよ)の活躍があったからでした。

武田兵は忠勝の見事な退き方を見て大いに感心してこのような歌を作ります。

徳川家康に過ぎたるのもが二つ有り、唐の頭に本多平八」という歌です。

この歌の意味は忠勝の退き方を褒め称えたのと忠勝に率いられた軍勢にヤクと言われる鳥の尾の

羽を着けていた部隊が活躍していたことを褒めた歌です。

こうして徳川軍を殲滅することはできませんでしたが、

蹴散らすことに成功した武田軍は三河へ向けて順調に進んでいくことになります。

 

家康を誘い出せ!!

 

信玄は三河に到着すると三河の重要拠点である二俣城(ふたまたじょう)を攻略しております。

この城を攻略するのに手間取った信玄ですがしっかりと攻略に成功。

そして二俣城を攻略に成功した信玄は家康が篭城している浜松城の近くを素通りして、

三方ヶ原へ向かっていきます。

信玄は浜松城をなぜ責めなかったのでしょうか。

それは家康をおびき寄せることが目的であったためです。

信玄は城攻めに時間をかけるのが勿体無く思っておりました。

そのため浜松城攻略を行うことをしないであえて素通りして西進していくことになります。

もし家康が出てくれば勿怪の幸いで野戦にてフルボッコにする自信が信玄にはあり、

また出てこないならば、そのまま西へ兵を進めて

織田の領地である尾張(おわり)へ向かうことができます。

信玄にしてみたら損が全くない行軍でしたが、

信玄の思惑としては家康に出撃して欲しかったのではないかと考えます。

家康へ甚大なダメージを負わせることができれば三河・遠江の領土奪還をさせることをしないで

済むからです。

家康は信玄の思惑を知ってか知らずか浜松城を出て信玄を追撃することを選択し、

三方ヶ原へ向けて追撃を行います。

 

三方ヶ原の戦い

 

信玄は家康が追撃してきたことを知ると三方ヶ原で陣形を敷いて家康を待ち受けます。

そして家康がやってきて三方ヶ原で陣形を敷き終わると彼は全軍に命じて攻撃を行わせます。

この三方ヶ原の戦いは合戦を行った時間が短かったので徳川軍へ

痛撃を与えることができませんでしたが、十分な戦果を上げることに成功します。

こうして徳川軍に痛撃を与えた信玄は徳川軍への追撃を程々で切り上げて西進していきます。

 

戦国ライター黒田廉の独り言

黒田廉さん02a

 

信玄は徳川家康に大勝利を飾って西上作戦を継続していくことになります。

しかし信玄は三方ヶ原の戦いで大勝利を収めて刑部(おさかべ)と

言われるところで全軍に停止を命じております。

この駐屯は翌年へ持ち越されることになり年明けになって西上作戦を再び開始することになります。

なぜ信玄は時間短縮をしてまで西上作戦を行っていたのに一時的に軍勢をとどめたのでしょうか。

それは信玄の病に原因がありました。

 

参考文献 信玄の戦略 柴辻俊六著など

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:楽しみながら戦国時代のエピソードを学べる歴史マンガ3選

関連記事:え?武田勝頼って武田家二代目代理なの!?

 




黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

投稿者の記事一覧

横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

関連記事

  1. 劉備が諸葛孔明に託した遺言には裏切りを防ぐための作戦だった?
  2. 漢の飛将軍・李広の逸話「信念をもって行えばやれないことはない」
  3. 始皇帝の法治国家を助けた韓非と李斯って何でいがみ合ったの?
  4. なぜ劉備は蜀王ではなく小さい土地である漢中王に就任したの?
  5. 孫晧(そんこう)とはどんな人?呉のラストエンペラー「暴君」の名を…
  6. 武田勝頼の自信を信長・家康連合軍に打ち砕かれた長篠の戦い
  7. 晋にも五虎将軍が存在した?魏の五将軍に匹敵する晋の名将を紹介
  8. 江東の虎・孫堅が次世代の息子たちに残したものとは?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 【真田丸特集】徳川三傑・本多忠勝と蜀の五虎将軍・張飛を対比してみた
  2. 【シミルボン】趙雲の記述は盛られていた!イケメン趙雲を生み出した別伝
  3. 錦馬超には仲間と呼べる人達がいたの?
  4. 朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第7部
  5. 【ネオ三国志】第7話:皇帝に就任した袁術と荀彧の秘策【蒼天航路】
  6. 【軍師連盟】司馬懿は何で身分の低い鄧艾を重用したの?

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

背水の陣は韓信だけではなかった!項羽が使った悲愴の決意を示した行動とは? 曹操は健康オタク?三国時代のロングブレス健康法 1185(いいはこ)になった?三国時代の幕府って何? 【ネタバレ注意】キングダム542話 楔 レビュー&今後予想 みんなが名乗りたがる最高の位!皇帝と王の違いについて分かりやすく解説 【お知らせ】はじめての三国志が電子書籍レベール「桃園出版 三国舎」を設立 張繍と賈詡は曹操に降伏したのは本心からではなかった!? 三国志時代にタイムスリップしたらあなたはどこに仕えたい?魏?呉?それとも蜀?

おすすめ記事

  1. 周處(しゅうしょ)とはどんな人?必ず負けると分かっていながらも、戦い抜いた闘将【晋の将軍列伝】
  2. 徳川慶喜とナポレオン三世の知られざる日仏交流史
  3. 千里の駒・曹休が劉備軍の猛将・張飛を打ち破ったのは史実では本当なの?
  4. 見た目で比較してもいいですか?曹操とナポレオン
  5. 司馬朗(しばろう)とはどんな人?司馬懿でさえ頭が上がらない偉大な兄の生涯
  6. 【シミルボン】不老不死の為なら死んでもいい!寿命を縮めた曹操のデタラメ健康
  7. 【素朴な疑問】馬謖って失敗ばかり強調されるけど手柄とかないの?
  8. 【さんすま】三国大戦スマッシュ! 第4回 目指せ主力の英雄化!呉の名将も仲間入りです!

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“西遊記"
PAGE TOP