暴走しているオヤジを追放して当主に就任した武田晴信(たけだはるのぶ)

2016年12月13日


 

真田丸02(武田信玄)

 

久しぶりのはじさんクイズです!!皆さんは甲斐の虎こと武田晴信(たけだ はるのぶ)をご存知でしょうか。この晴信は後年出家して晴信から出家した際の号を名乗ることになるのですが、一体何の号を名乗っていたでしょう。

 

1逍遥軒(しょうようけん)

2信玄

3梅雪

 

さぁ~て正解はどれでしょう。

 

正解は3ではなくて2番の信玄です。そうです!彼は若い頃は武田晴信と名乗っており、出家してからみなさんがよく知っている信玄と名乗るようになるのです。さてこの晴信君ですが、父・信虎からを追放して武田家の当主に就任していることを知っておりましたか。今回はそんな晴信くんの荒々しい一面を覗かせる武田家就任までのお話をしたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武田信虎の嫡男として誕生

真田丸 武田信玄

 

晴信は武田家の当主である信虎の嫡男として誕生します。彼には多くの兄弟がいてなんと16人者兄弟がおりました。その嫡男として生まれた信玄は色々と信虎から期待をかけられております。その証左として元服したとき父は足利将軍である義晴に要請して、その名から一字をもらい晴信として名づけて元服させております。また信虎は官位も朝廷に要請しており、晴信は元服した時に官位をもらっています。こうして晴信は父・信虎からいっぱい期待をかけられて成長しております。

 

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晴信の初陣と信虎の領内政策

 

晴信はこうして父信虎に期待をかけられながら成長して元服することになります。そして戦国時代の武将が必ず通る初陣の日を迎えます。晴信は父と共に信濃の佐久郡にある城を攻略するべく出陣し、見事に目標としていた城を陥落させます。父信虎は晴信の初陣を済ませると領国内の整備を行います。行政組織を見直して改善を行っており、家臣団においても信虎の父から居る重臣達に加えて、自らが取り立てて家臣した者に自分の一字である「虎」の字を与えて、家臣団の結束力強化を図っております。このように信虎は次世代の武田の家を継ぐ晴信のために領内整備と家臣の結束力を高める方針を行っていきます。

 

信虎・暴君化

 

こうして甲斐の国を整備していくことに力尽くすと共に、領土拡大を行っていた信虎ですが、次第に暴君と化していきます。彼は自分の家臣が自らの気に食わないことをちょっとでもやるとすぐに殺害。これは新参や古参にかかわらずに行っていたため家臣達は戦々恐々としておりました。また領内でも厳しい税の取立てが始まり、領民達も信虎の暴君化に驚いておりました。その後信虎は信濃の海野平で海野氏に大勝利を収めると彼は自分の長女が居る駿河に向かっていきます。この時信虎が連れていた人数は数十人程度の少数の側近しか連れていませんでした。

 

国境を閉じて父を追放

 

晴信はこのままでは武田がダメになってしまうと考えて、重臣たちに「父信虎を追放するべし」と訴えます。重臣達も信虎のやり方に怒りを覚えていたため、晴信の訴えに反対する者はなく皆が賛成します。そして晴信は父が駿河へ向かったとすると急いで国境を閉じて父が帰還できないようにすると彼は武田家の棟梁となることを重臣や領民達へ知らせます。信虎は今川義元の館でこのことを知ると激怒して国に帰ろうと急ぎますが、国境が閉じていたため、甲斐へ入ることができませんでした。こうして信虎はシズシズと駿河に行って今川義元に保護されることになるのです。そして晴信は父信虎の追放に成功したことによって武田家を継いで新当主として君臨することになるのです。

 

戦国史ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

戦国時代に子が親を追放するのは特に変わったことではなくどこでも起きている状態でした。

晴信が父信虎を追放した原因は色々ありますが、

 

1父信虎の暴君化

2信虎との関係悪化による追放説

が唱えられており、どちらもありえることでした。

父信虎が暴君化したときは晴信のいうことを聞いてもらえないこともあったそうです。

これらが原因で晴信は父を追放する決意をしたのではないかと考えられているそうです。

 

参考文献 中公新書 信玄の戦略 柴辻俊六著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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