【シミルボン】孔明も騙した?蜀に似合わないテキトー人間 何祇の人生


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西暦223年以後、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)が、

蜀の丞相になり、全てを統括するようになると、

次第に彼の好む真面目で融通が効かない、小粒の実務官僚が増えてきました。

このようにして、蜀からは独創的な人物が出てきづらい風土になるのですが、

どんな社会にも例外は、いるもので蜀では、この何祇(かぎ)がその例外でした。

孔明の配下にいたとは信じられない、何祇のテキトー人生を紹介します。


寛容で情に厚く、酒と女に目が無かった何祇

 

何祇は字を君粛(くんしゅく)と言い、蜀郡の生まれです。

蜀の名将、張嶷(ちょうぎょく)とは親友でいずれも貧乏でした。

この何祇、人情に厚い人なのですが、性格には、しまりがなく欲望のままに生きて、

大酒飲みの女好き、当時の儒教の価値観、清廉、潔白、淡泊には、ほど遠く

彼と友達付き合いをしているのは、少数しかいませんでした。

 

彼には、夢占いの逸話があります、ある時、井戸の中に桑の木が生えている夢を見た

何祇が占い師の趙直(ちょうちょく)に相談すると趙直は、

 

「桑は桒(くわ)とも書き十が四つと八と読める、、

桑は本来、井戸の中では育たないから、植え替えなければならないだろう。

あんたは、48を越えては生きられないという暗示だ」と占いました。

 

何祇は「なーんだ、そんな事か、俺は48まで生きられれば充分」と笑い

気にする様子も無かったようです。

ものこだわりがなく、大らかで毎日を楽しんでいる何祇らしい逸話です。


上司の楊共の引きで出世を始める何祇

 

ぶらぶらしていた何祇を見出し郡吏に推挙したのは楊洪でした。

蜀郡大守をしていた楊洪は、何祇を門下書佐として使っていましたが、

何祇に非凡な部分を見出して、諸葛亮孔明に推挙したのです。

 

孔明は、この推挙を入れて何祇を登用して、督軍従事としました。

督軍従事は、牢獄を管理する仕事ですが何祇は真面目に仕事をする様子もなく

遊んでいたので、たちまちに悪評が立ち孔明は真偽を確かめようと

抜き打ちで牢をチェックする事に決めました。


事前に抜き打ちを察知した何祇は一晩で全ての囚人の罪状を記憶する

 

孔明が抜き打ちに来ると知った何祇は、少しも慌てず、灯りを灯して

牢獄にやってきて囚人の顔と、それぞれの罪状書をすべて記憶しました。

翌日、孔明がやってきて、何祇に囚人の罪状を問いただした所、

すでに全ての書類を覚えていた何祇は、何を聴かれても、淀みなく答え

感心した孔明は、何祇を引き立てて数年後には二つの県の令としました。

 

何祇の要領の良さもありますが、たった一晩で全ての囚人の罪状を暗記するなど

記憶力にも優れていた事が分ります。


  

 

常に二番手だった何祇が楊洪に言ったセリフ

 

何祇の出世の速度は、楊洪に次ぎ、朝廷での席次も楊洪の後ろでした。

ある時、楊洪は何祇をからかって言いました。

 

「君の馬は、いつになったら、走り出すんだろうね?」

「は?何を言うんです、あなたが鞭を入れないからですよ」

 

楊洪が何祇を対抗馬と思って言ったセリフに

何祇は、私はあなたの(馬)部下ですと返答したわけで、

その見事な切り返しは、蜀で話の種になったという事です。

 

人情に厚い、何祇は家を傾けて、張嶷を助けた

 

何祇が広漢大守になった頃、親友の張嶷は重い病にかかっていました。

彼は金銭に淡白で治療費も無く、何十年も会っていない何祇のいる

広漢に馬車を向かわせて借金をお願いにいきます。

何十年ぶりの再会とはいえ、情に厚い何祇は張嶷を見捨てる事はなく、

自身が莫大な借金を背負ってまで張嶷の治療費の面倒を見ました。

お陰で治った張嶷は、その恩義を生涯忘れなかったと言われています。

 

聴いてないようで聴いている、何祇の名裁き

 

何祇は孔明に見出され、成都の令と隣の郫(ひ)県の令を兼任する事になります。

この両県は、都に近く、人口もむやみに多いので、犯罪率が高い土地でした。

生活態度が改まらない何祇は裁判でも、いつも居眠りをしていましたが、

それを良い事に、被告人がいい加減な事を言うと、すぐにその矛盾を指摘して

被告人を震え上がらせる事が何度もあり、何県令は魔法を使うようだと恐れられ

両県の犯罪は激減したと言われています。

 

テキトー加減が異民族に大受けし、再任を要求される

 

その頃、汶山(ぶんざん)に住む異民族が反乱を起こして困ったので、

何祇を大守として赴任させると、テキトーな対応が良かったのか、不満は収まりました。

さらに、何祇を栄転させ、広漢大守とすると、間も無く汶山で反乱が起き、

賊たちは「何府君が戻ってくるなら反乱は止める」と言ってきたそうです。

 

それは難しかったので、何祇の一族を大守に据えると果たして、

異民族は気持ちを静めて、再び大人しく従うようになりました。

 

何祇は、広漢大守から犍為(けんい)大守に移りそこで48歳で没しました。

奇しくも井戸の中の桑の夢占いが的中した事になります。

 

参考文献:演義・正史 三国志武将事典

著者: 光栄 出版社: コーエー

 

※何祇の記述は、三国志蜀志、楊洪伝が引く、益部耆旧伝雑記にあります。

 

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