広大な領土を作り上げることに成功した曹操(そうそう)。彼の領土は非常に広大であったので、各地色々な文官が活躍しておりました。今回はその内のひとりで非常にマイナーですが、けちんぼ曹洪(そうこう)や曹操と同郷であった劉勲(りゅうくん)らを恐れさせた行政官である楊沛(ようはい)をご紹介していきたいと思います。
桑の実を貯蓄させる
楊沛はとある町の長に就任します。当時の中国は群雄が各地で割拠している時代で戦は絶えず続いていたおり、各地で飢饉も発生しておりました。そのため楊沛はいつ自分が治めている土地へ飢饉が来てもいいように備えることにします。まず桑の実を乾燥させて食料庫に貯蔵させていきます。また自然の中に生えている豆を採取して食料庫にぶち込んでいきます。こうして食料庫は次第に貯蔵されていく量が増えていくことになります。
食糧不足の曹操軍へ提供
楊沛が食料庫の充実を図っている時、曹操は皇帝を自らの拠点である許へ移そうと考え、洛陽へ迎えに行っている途中でした。彼の領土も飢饉によって兵糧を捻出することが難しい状態であったので、あまり食料を持っていませんでした。そんな時、楊沛が治めていた土地を通過することになります。楊沛は曹操に会うために彼の元へ行って「曹操殿。あなたの軍勢はあまり兵糧を持っていないように思われる。今この土地には少しの蓄えがあるので、あなたの軍勢に振舞ってあげましょう。」と言って食料庫を開放して曹操軍の軍勢に分け与えることにします。曹操は食料の調達に困っていたので楊沛の心配りに大いに感謝したそうです。
曹洪の客を法に照らして殺害する
楊沛は曹操軍に食料を提供したことがきっかけで曹操に仕えることになります。曹操は彼に長社の令へ就任させます。楊沛は長社に赴任すると曹操の一族である曹洪の客が税金を納めていないことが発覚。彼は曹洪の客に税金を納めさせるために取立てを行いますが、応じることはありませんでした。楊沛は曹洪の客が税金を払わないため、法律に照らし出して彼を殺害してしまいます。曹操は自らの一族に関係している者でも容赦なく法律に照らして罰していく彼の姿勢に感心し、各地の太守を歴任させます。しかし彼は軍の監督役と喧嘩したことが原因で刑罰を受けてしまいます。
鄴の行政官へ任命される
曹操は孫呉を討伐するために本拠地である鄴(ぎょう)を離れることになります。曹操がいなくなった鄴では非常に治安が悪くなり法律を破る人が多くなってきます。曹操はこの報告を聞くとすぐに「新しい県令を選んで報告しろ」と命令を下します。命令を受けた役人は曹操へ「新しい鄴の県令の人選を行いましたが、楊沛と同じくらい厳格な人間でないと鄴をしっかりと収めることは難しいでしょう」と報告。曹操はすぐに罪に服している楊沛を呼んで「今から鄴の県令として働いてくれ」と命令します。そして曹操は場に集まっていた諸将へ「こいつはマジで怖いから気をつけろ」と笑いながら話します。楊沛が鄴の県令を務めることを知った曹洪や劉勲はすぐに鄴へ馬を走らせて、自らが養っている客や子供達、使用人へ「鄴の法律をしっかりと守れ。次に来る県令はかなり厳しいから気を付けよ」と忠告したそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
楊沛が鄴へ着任するとすぐに法律を厳格にして民衆達をしっかりと治めていきます。曹操が遠征から鄴へ帰還すると以前とは見間違えるほど民衆や役人達はキビキビと動き、犯罪が報告されることはほとんど無くなったそうです。ほとんど知っている人がいないマイナーな武将ですが、彼らがいなければ広大な魏の領土を上手く治めることはできなかったでしょう。ほとんど知られないマイナー文官列伝・楊沛をご紹介しました。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など
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