【春秋五覇の一人】穆公のおかげで後進国からのし上がった西の国・秦


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秦の始皇帝によって中華で初めて天下統一を行った秦。

しかし周王朝が出来た時は中原諸国にあった国々と比較して大いに遅れていた国でした。

しかし秦の穆公の時代に秦国は中原諸国と積極的に国交を深めたことで、

大いに力をつけていくことになります。

 

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名宰相を羊の毛皮五枚と交換

 

穆公が秦の国主になると北の大国である晋と仲良くなるために、

この国の公女をお嫁さんにもらいます。

その後晋は小国を二つ滅ぼした際、百里渓(ひゃくりけい)と言う人物を捕虜にします。

穆公は百里渓という人物に興味を持ち、

彼がどのような人物であったのか配下に命じて調べさせます。

その結果百里渓は晋によって滅ぼされた虞(ぐ)という小国の国政を取っていたことを知ります。

穆公はこの百里渓がかなりの知識を持っており、

相当の政治家であることを知ると彼がどこにいるのか調べさせます。

すると彼は宛(えん)という土地で奴隷にされていることが判明。

穆公はどうにかして彼を配下に加えたいと考えており、

どうすれば彼を配下に加えることができるのか一生懸命考えます。

そして穆公は妙案を思いつき、彼は宛に配下を走らせてその地に居る住民の長に対して、

「百里渓と言う奴隷がいると思うが、羊の毛皮五枚と交換してくれないか」と交渉。

すると住民の長は喜んで百里渓を解放します。

穆公は住民に大金をちらつかせて交渉すると、

百里渓がかなりの人物だと知り交渉が決裂する可能性があります。

そのため彼は住民の目線に立って物事を考えることで、交渉を成功させようと思案した結果が、

毛皮五枚でした。


三日間話し込んでついに名宰相を配下に加える

 

穆公は百里渓と会見して秦の国の国政を彼に行わせたい考えを伝えます。

しかし百里渓は「私は国を滅ぼしてしまった人間です。

こんな人間に国政を任せることはしないほうがいいです。」と断られてしまいます。

穆公はこの程度で引き下がることはせずなんとか国の政治をやってくれと

三日間同じことをずっと彼に繰り返して伝えます。

この穆公の執拗なお願いに根負けした百里渓はついに秦の国の国政を行うのかと思いきや

彼は秦の国政を行うことをせず代わりの人物を推挙します。

彼が推挙した人物は蹇叔(けんしゅく)に国政を任せるように伝えます。

穆公は百里渓が推薦した人物を配下に探させて、

発見すると丁重にもてなして彼を秦に向かい入れます。

そして彼と蹇叔を配下に加えた穆公率いる秦は道を誤ることなく強大になっていきます。

だがある出来事によって秦は国力を減少させてしまうのです。


ふたりの賢臣の意見を無視して遠い鄭を攻める

 

穆公は晋の亡命公子である重耳(ちょうじ)を助けて彼を晋の国主に就任させます。

この重耳こそ春秋時代を代表する文公となるのです。

彼が国主になると秦と晋は仲良くなり互いに力を合わせて他国へ攻撃を仕掛けていき、

秦と晋の領土は大きくなりますが、文公が亡くなってしまったことで、晋との絆も切れてしまいます。

ある日穆公は鄭国からきた城門を守っているものから「秦の軍勢が鄭に攻めてくれれば、

私は城門をあけて向かい入れる準備をします。」と寝返りを約束してきます。

穆公は百里渓と蹇叔に相談すると二人は大反対します。

穆公はふたりの反対意見を無視して、百里渓と蹇叔の息子達に将軍の位を与えて出陣させます。

だが結果は大失敗に終わります。

彼らは鄭へ攻撃することをしませんでした。

しかし彼らはこのまま帰っては遠征に出てきた意味がないと考えて、

晋の属国を攻撃して滅ぼしてしまいます。

晋は先代の君主である文公の喪中が開けておらず、属国に援軍を送ることができませんでした。

その為文公の跡を継いだ襄公は激怒して秦軍をひとり残らず殺害して、

百里渓の息子で将軍であった孟明子(もうめいし)と

蹇叔の息子である西乞術(せいきつじゅつ)を捕虜にします。

襄公は彼を殺害しようと考えますが、襄公の夫人が穆公とかかわり合いのある人であったので、

必死に命乞いをします。

その結果二人は秦に帰ることができ、帰ってきた二人を穆公は責めることをせずに

「わしが百里渓と蹇叔の意見を聞かないばかりにお前達に苦労をかけてしまった。

これからは三人でともに晋へ復讐を果たそうではないか。」と誓い合います。

 

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復讐を果たす

 

穆公はその後何度も晋へ攻撃を仕掛け、二度目の攻撃の時に孟明子と西乞術が敗北した土地を

奪取することに成功します。

そしてこの地で穆公は「秦の将兵に告ぐ。

私は百里渓と蹇叔の賢臣の言葉を無視してこの地を攻めたせいで、

我が国の大事な兵士達を多く失ってしまった。

今後はこのようなことが絶対に起きないようにするから、これからも皆ワシを支えてくれ」と演説を

行います。

この言葉を聞いた将兵は皆感動して涙を流したそうです。

その後秦は西方の異民族を討伐して領土を広げることに成功。

こうして西方の国の覇者たる地位を獲得することになるのです。


  

 

春秋戦国時代ライター黒田レンの独り言

 

こうして秦は古代中華文明が盛んな中原諸国に匹敵する国力を有することになります。

そして穆公から幾世の秦の君主が自国強化に努めていき、

秦王政の出現によって秦は天下統一をなすことができるのです。

「今回の春秋時代のお話はこれでおしまいにゃ

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃあまたにゃ~」

 

 

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