信濃守護職就任と武田晴信の出家

2017年3月14日


 

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武田晴信は自ら軍勢を率いて領土拡張を行っておりました。

彼が領土を拡張するべく出陣した先は甲斐(かい)の隣国である信濃(しなの)です。

この地に出陣した晴信は信濃の諸豪族を味方につけて攻略を行っていきます。

そして信濃で晴信に敵対を続けていた村上義清(むらかみよしきよ)を追い出すことに成功し、

信濃のほとんどを支配することに成功します。

晴信は村上氏を追い出すことに成功するのですが、永遠のライバルである越後の龍こと

長尾景虎が村上氏の救援要請を受けて信濃に乱入してくることになります。

晴信は長尾氏と対陣している最中、

信濃の支配の大義名分を手に入れるために画策を開始します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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信濃支配の大義名分を手に入れるために

 

晴信は苦労を重ねながらついに北信濃最大の豪族である村上氏を追放することに成功します。

だが村上氏の救援要請を受けた長尾景虎が信濃に乱入してきます。

晴信は長尾氏と直接対決することを避けて、城に各豪族をこもらせて防戦に勤めていきます。

彼は長尾氏が信濃へ侵攻している時に大事なものが欠けていることに気づきます。

それは信濃を支配することに必要な大義名分がないことです。

彼は信濃を支配することのできる官職である「信濃守護職」という大義名分を手に入れるために

朝廷へ働きかけることにします。

 

長尾氏との和睦の条件として信濃守を要望

 

晴信は朝廷に「私に信濃守護職をくださいBY晴信」と働きかけていましたが、

中々いい返事をもらうことはできませんでした。

また当時の晴信は長尾氏が信濃に乱入してきたことで防戦することで手一杯で、

朝廷に働きかけている時間がありませんでした。

そんな最中、事実上なんの実権も持ってない名前だけの将軍である

足利義輝(あしかがよしてる)から使者がやってきます。

この使者は晴信に「越後の長尾氏と争うことをやめて和睦せよ」と伝えてきます。

この伝言を聞いた晴信の脳裏にあることを思いつきます。

それは義輝に晴信が欲しくてたまらなかった「信濃守護職」を要求して和睦を図ろうと考えます。

このことを伝えると使者は「分かりました。義輝様にお伺いを立ててみます。」と

言って去っていきます。

義輝は使者の話を聞くと「わかった。彼に信濃守護職の補任にすると伝えよ」と言って

自ら手書きでその旨を伝えます。

 

信濃支配の大義名分をget

 

晴信は再び義輝の使者がやってくると小躍りしながら使者の前に出ます。

そして使者の言葉は晴信の思惑通り「あなたを信濃守護職の補任に任命するとのことです。」と

言って将軍直筆の書状が手渡されます。

晴信は信濃守護職をもらいたかったのですが、これでもいいかと我慢して将軍からの手紙を

かしこまって受け取ります。

こうして信濃支配の大義名分を得ることに成功した晴信はすぐに長尾氏と和睦をして

領地へ引き返すことにします。

 

晴信出家

 

晴信は信濃の支配が名実ともに自らの物になったことをきっかけとして、

出家することを決めます。

この出家は隣国の北条氏康(ほうじょううじやす)が嫡男氏政に家督を譲ったことと少し関係があり、

晴信ももう少ししたら嫡男義信へ武田の家督を譲る準備として出家を行います。

こうして晴信は出家し「信玄」と名乗ることになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

晴信は出家して信玄と名乗ることになります、

この信玄の号には色々な説があり、例えば信玄の玄の字が晴信の晴と同じ意義であったため、

信玄を号したそうです。

また唐の時代の中国から渡来してきた中国僧の名前から玄の字をもらって号したとも言われています。

何はともあれ晴信は信玄と号して戦国乱世を戦っていくことになるのです。

 

参考文献

信玄の戦略 柴辻俊六著 など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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