徳川三傑の一人・井伊直政(いいなおまさ)ってどんな人?

2017年4月1日


 

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現在放映中の大河ドラマおんな城主・井伊直虎(いいなおとら)。

彼女には許嫁だった人物がおりましたが、彼は不遇の死を遂げてしまいます。

そんな彼には一人息子がおり、その子の名は虎松と言いました。

この虎松が井伊家の運命をかえることになり、井伊直虎にも必ず登場する人物です。

 

 

 

 

今回は彼女の許嫁の息子である虎松こと井伊直政(いいなおまさ)を

ご紹介したいと思います。

エイプリルフールですので、三国志と全く関係ない物をご紹介していきたいと思います。

ひとつだけ注意点があります。

おんな城主・井伊直虎のネタバレが含まれているので、

大河を楽しみにしている方は見ないほうがいいかもしれません。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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亀之丞の息子・虎松

 

 

井伊直政は大河ドラマおんな城主・井伊直虎において

井伊谷(いいのや)に最近帰ってきた亀之丞(かめのじょう)こと

井伊直親(いいなおちか)の嫡男として誕生します。

幼名を虎松(とらまつ)と言いました。

しかし父・直親が今川の家臣・朝比奈泰朝(あさひなやすとも)に殺害されてしまいます。

そのため井伊家は当主不在となってしまいますが、

ここで登場するのが大河ドラマの主人公である次郎法師(じろうほうし)です。

彼女は直親が殺害されてしまったことを聞くと還俗して直虎と名を変えて

井伊家の当主に就任。

直虎は今川家から虎松を殺害するよう命令を受けますが、

ここで活躍するのが我らがヒーロー新野(にいの)さんです。

この人は今川義元から井伊谷の井伊家を監視する役目を命じられていたのですが、

次第に井伊家肩入れするようになっていき直虎が井伊家当主に就任した時には、

井伊家の家臣のような人物になっております。

そんな彼は虎松の命を救うために駿府(すんぷ)へ行って、

虎松の命を助けてもらうよう助命嘆願を必死におこなったそうです。

その結果、虎松はなんとか命を助けてもらうことになり、

新野さんの家で生活するようになったそうです。

しかし虎松の人生もかなり波乱に満ちておりこれはまだ序の口に過ぎませんでした。

 

 



井伊谷から逃亡

 

 

井伊家には新野さんの他にも今川家に心を通じていた武将がいました。

それは直虎の幼馴染でお鶴と呼ばれ、

井伊家の当主となった直親や直虎と仲が良かった小野正次(おのまさつぐ)です。

彼の父も井伊家を監視する役目を持っており、

オヤジの役目をそのまま引き継いで井伊家の監視役として、

今川家のために働いておりました。

武田家が駿河へ侵攻してくると今川氏真(いまがわうじざね)は、

小野正次へ「井伊谷の虎松を殺して井伊谷の実権を奪ってこい。

当主の直虎もついでに殺してしまえ」と命令を受けます。

正次はどのような気持ちでこの命令を受け取ったのか、

そこは大河ドラマの放映を楽しみにしていましょう。

正次は氏真の命令を受け取ると井伊谷城を奪うことに成功。

この時虎松や直虎、直虎の母は龍潭寺(りゅうたんじ)へ逃亡することができたので、

命まで奪われることはありませんでした。

そして虎松はそのまま三河の鳳来寺(ほうらいじ)へ向かうことになり、

出家することで井伊谷の小野正次からの暗殺を逃れることになるのです。

 

 

家康の小姓として仕える

 

 

虎松は三河の鳳来寺に逃亡してから12年が過ぎようとしておりました。

彼は父・直親の12回忌をするため久しぶりに井伊谷に帰ってくると

父の供養を行ってから母と直虎に呼ばれることになります。

虎松はふたりが待っている部屋に到着すると直虎から

「虎。三河の徳川様に仕える気はあるか。」と尋ねられます。

すると虎松は「はい」と元気よく頷きます。

直虎は虎松の元気のいい返事をするとすぐに「わかった」と述べます。

その後直虎と虎松の母は、

仏門に入っている虎松を家康へ仕えさせるためにはどうすればいいのか

二人だけの会議を行うことになります。

その結果、直虎は虎松を鳳来寺へ帰さないようにするため虎松の母を再婚させ、

虎松を母の再婚相手の養子とすることで還俗させ、

虎松改め万千代(まんちよ)として名を変えて家康の小姓として仕えることになります。

家康の小姓として仕えた万千代は井伊谷の領有を家康から認められ、

井伊家の当主として君臨することになります。

 

井伊の赤備えの誕生

 

井伊万千代は22歳と結構遅めの元服を果たすと井伊直政として、

名を変えることになります。

こうして徳川四天王としてその名を知られることになる井伊直政が誕生するのです。

彼は武田軍との激戦において活躍することになり、

武田家が滅亡すると武田家の遺臣達を多く配下として抱え、

徳川家康が恐れていた山県昌景(やまがたまさかげ)の赤備え隊を引き継ぐことになります。

彼の部隊は山県昌景の軍勢と同じように甲冑を全て赤に統一。

この部隊は重装備部隊で常に徳川軍の先鋒で敵軍に突撃する部隊でしたが、

これは後年の話。

彼の赤備え隊はまだ一回も戦に出陣したことがありませんでしたが、

ついに初陣を迎える事になるのです。

しかしこの初陣はかなりの激戦でした。

 

小牧・長久手の戦い

 

 

井伊直政がああでもない、

こうでもないと独り言を言いながら赤備え隊の編成を終えるのですが、

活躍の出番がまだありませんでした。

しかしようやく彼が心血注いで作った赤備え隊が活躍する時がやってくるのですが、

かなりの激戦に投入されることになるのです。

その激戦とは豊臣秀吉VS織田・徳川連合軍の戦いである

小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いです。

この戦いは豊臣軍10万VS連合軍3万程度の戦いでした。

この戦いに投入されることになった赤備え隊は豊臣軍と激闘を繰り広げることになります。

秀吉は井伊の赤備え隊に恐れを感じたそうで、

豊臣軍の諸将達も山県昌景の赤備え隊を思い出した武将がいっぱいいたそうです。

そのため彼は「井伊の赤鬼」として恐れられることになります。

そしてこの戦以降、北条討伐戦や関ヶ原の戦いでも活躍。

本多忠勝と並び称されるほどの武将へと進化を遂げることになるのです。

 

井伊家ライター黒田レンの独り言

 

 

今川家のせいで滅亡寸前まで追い込まれた井伊家を見事回復させた直政。

彼はイケメンだったらしく、徳川家康から「美形で心優しい青年」と言われていたそうです。

また彼は武だけでなく外交交渉にも非常に長けていた武将で、

関ヶ原の戦いで西軍に参加していた島津家の取次訳として活躍したり、

長宗我部家が撮り潰されないように家康に命乞いをしたり、

外交官としても非常に優秀な人物であったようです。

もし直政の父である直親が生きていれば、

直政と同じくらい戦場や外交で活躍していたかもしれませんね。

果たしておんな城主井伊直虎ではどのような人物として登場することになるのか、

今から楽しみではありませんか。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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