【はじめてのセンゴク】播磨における予想外の展開と上月城の悲しい最後

2017年4月6日


 

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織田信長は羽柴秀吉を西の中国地方の覇者として君臨していた

毛利家討伐の総司令官として、中国地方攻略戦の総司令官として任命。

秀吉は信長から中国地方の総司令官として任命されると

毛利家と織田家の前線である播磨(はりま)へ出向します。

当時の播磨は織田家に心を寄せていたこともあり、

秀吉に対して反抗する勢力はほとんどなく協力的な関係でした。

その為秀吉は播磨で秀吉に敵対していたいくつかの豪族の討伐や調略を行うだけで、

播磨平定のほとんどを完了することに成功します。

彼はその後播磨における毛利家の前線拠点である上月城(こうづきじょう)の攻略に成功。

彼はこの城に出雲(いずも)の麒麟児と呼ばれた勇将・山中鹿之助(やまなかしかのすけ)や

尼子勝久(あまこかつひさ)を守将として配置します。

こうして簡単に播磨平定に成功していた秀吉ですが予想外の展開が起きてしまいます。

果たして秀吉が予想していなかった展開とは一体何なのでしょうか。

そして秀吉が予想していなかった展開が起きたせいで、

上月城は危機的状況に陥ってしまい悲しい最後を迎えることになります。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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予想外の展開とは!?

 

秀吉に味方することになった播磨の有力な国人である別所氏(べっしょし)。

当時の別所氏の当主は別所長治(べっしょながはる)と言う人物でした。

彼はまだ年若く二人の叔父が長治を補佐しておりました。

一人は秀吉や織田家に早い段階で心を寄せていた別所重棟(べっしょしげむね)。

もう一人は秀吉が播磨へきた際、彼の調子に乗った姿をみて不快感を感じ、

織田家に対しても不信感を抱いていた別所吉親(べっしょよしちか)です。

このふたりの叔父が別所長治を補佐しておりました。

二人の叔父は仲が悪く、何かにつけて意見の対立をしてしまいます。

そして織田家に対して不信感を抱いていた吉親が別所長治を口説き落とした後、

別所氏の諸将や家老が集まる会議の席で、

織田家の不信感や羽柴秀吉の驕った態度を指摘して彼らを説得してしまいます。

こうして別所氏は毛利家と同盟を結んで織田家へ敵対することを表明。

秀吉はこのことを知ると大いに驚いて

すぐに別所重棟を別所氏の本拠地である三木城へ派遣して別所長治説得に赴かせます。

しかし長治は彼の言葉に耳を貸すことはありませんでした。

こうして別所氏は織田家に敵対することになります。

別所氏が反織田の旗を掲げると播磨の国衆は別所に味方することになり、

秀吉の播磨攻略は頓挫してしまいます。

 

毛利両川の進撃

 

毛利家当主・毛利輝元(もうりてるもと)を支えていた吉川元春(きっかわもとはる)、

小早川隆景(こばやかわたかかげ)の二人は別所氏が播磨で反織田の旗を掲げたことを

知ると大いに喜びます。

そして二人はこのチャンスを逃すわけには行かないと考え、

四万もの大軍を率いて秀吉に奪われた上月城へ進軍を開始。

元春と隆景の軍勢は上月城に到着するとすぐに包囲陣を敷いて、

上月城から誰も出れない状態を作り上げます。

秀吉は播磨攻略にかかりきりであったので、主君・織田信長に援軍を要請。

信長は毛利軍が出張ってきたことを秀吉から知ると急いで、

援軍を播磨へ差し向けることにします。

信長がこの時援軍として差し向けた諸将はかなり豪華で、

信長の跡をついで織田家の当主として君臨していた織田信忠(おだのぶただ)や

明智光秀、荒木村重(あらきむらしげ)、滝川一益(たきがわかずます)、

丹羽長秀(にわながひで)などの織田家のオールスターが集結することになります。

これほど豪華な軍勢が出揃うことは中々なく、

信長がどれだけ本気であったのか知ることが出来るのではないのでしょうか。

 

織田軍は播磨平定に全力を注ぐ

 

織田軍の援軍を得た秀吉は信忠へ「上月城に援軍を送りましょう」とお願いします。

信忠は「父上から播磨平定を最優先にしろと言われいる。」と断られてしまいます。

だが秀吉は上月城を見捨てることができず、

自ら信長元へ行って上月城へ援軍を送りたい旨を伝えます。

信長は秀吉の言葉を聞くと「サル!!うぬの意見は聞いていない。

さっさと播磨平定を行え!!」と逆鱗に触れてしまいます。

こうして信忠率いる織田の援軍は播磨三木城の支城を攻略することに全力を注ぎ、

上月城へ援軍を送ることをしませんでした。

しかし秀吉だけは自ら軍勢を率いて上月城近辺にある高倉山に陣取って、

毛利家に対してプレッシャーをかけることにしますが、

秀吉率いる軍勢が少なすぎたため、プレッシャーの効果を上げることができないまま

月日だけが流れていきます。

 

捨て駒にされた上月城

 

上月城を守っていた尼子勝久や山中鹿之助は織田軍が助けに来ないことを知ります。

彼らは秀吉から「織田軍は上月城救援に赴くことができない。

その為、貴殿らが毛利家降っても文句を言う筋合いがない。

本当に申し訳ないが毛利家に降って再起を図ってくれないか」と伝えられます。

しかし彼らは毛利家へ降ることを拒否して徹底抗戦の構えを崩しませんでしたが、

孤立無援の状態で毛利家の大軍と戦う事になるのです。

こうして織田軍の援軍も見込めないまま毛利家の包囲が始まって数ヶ月が経過すると

城内から餓死者が出始めてしまいます。

尼子勝久はこのままでは全滅してしまうと考え、

生き残っている家臣達を呼び集めて会議を行います。

その結果、城内の家臣達を救うために毛利と和睦することを決め、

毛利家へ和睦の使者を送ります。

毛利家は「尼子勝久ら尼子一族が自害すれば、城内の兵士達の命を助けてやる」と

和睦の条件を彼らに突きつけます。

尼子勝久は毛利家の条件を飲んで和睦に応じることを決断。

こうして尼子勝久や息子達は全員自害して果て上月城は陥落することになります。

出雲の麒麟児・山中鹿之助は毛利家の捕虜となって護送されることになります。

 

麒麟児の最後

 

山中鹿之助は上月城が陥落すると毛利家の捕虜となって、

毛利の領内へ護送されることになります。

しかし彼は毛利家の領内へ入る前に亡くなってしまいます。

毛利家は彼を許すつもりなど毛頭なく、

彼が生きていれば再び尼子の当主を見つけ出して

反乱を企てる可能性がある危険性があることから彼を殺害してしまいます。

こうして麒麟児・山中鹿之助が願っていた尼子再興の夢は儚く散ってしまうことになり、

上月城の戦いは閉幕することになります。

 

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戦国史ライター黒田レンの独り言

 

秀吉にとって予想外の展開となってしまった播磨平定戦。

もし別所長治を支えていた叔父・重棟と吉親の二人が、

別所氏を協力して支えていたのであれば、

織田家の播磨平定はかなり早い段階で終わることになっていたでしょう。

だが別所氏は秀吉率いる軍勢に徹底抗戦の構えを見せつけ、

なんと秀吉軍と三年間も戦い続けることになるのです。

播磨平定が織田家に背くことなく完了していれば、

出雲の麒麟児・山中鹿之助や尼子勝久らも

無慙に散ることはなく秀吉の中国地方の平定戦に大いに活躍していたでしょう。

また信長が上月城を救援しない方針を固めたことで、

織田家の悪いイメージ(比叡山(ひえいざん)の焼き討ちや

上記で紹介した上月城を捨て駒にしたことなど信長の残虐性が顕になったことで、

彼のマイナスイメージを当時の大名や後世の人々にもたれてしまうことに・・・・)が

ついてしまいます。

 

参考文献 中公新書 信長と消えた家臣たち 谷口克広著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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