遊侠の人・郭解の悲しい最後、慕う人が多すぎて無残な最後を迎える

2017年4月24日


 

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前漢の遊侠人の代表格であった郭解(かくかい)

彼を慕う人は多く、郭解が外出する際には多くの人がかれに付き従って行動しておりました。

三国志の時代の人物に当てはめるならば関羽や劉備みたいな人でしょうか。

関羽も三国志演義や蒼天航路では遊侠人近い人物として描かれており、

多くの人がかれを支えるために陰ながら援助をしておりました。

そんな郭解ですが、無念な最後を迎える事になるのですがその原因を作ったのは彼の

名声をしたってきた人達が起こした行動に起因しております。

 

関連記事:郭解(かくかい)とはどんな人?悪いことの全てをやり尽くした遊侠人

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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茂陵移住事件

 

前漢時代の名君である武帝は自らの墓を茂陵(もりょう)と言われるところに建造。

そしてこの地を賑やかにすることを目的として資産家と言われるお金持ちを対象にして、

移住を行うように命令を出します。

この時に多くの資産家達は茂陵へ移住することになるのですが、

郭解は名声がありながらも莫大な資産を持っていたなかったため、

移住対象には入っておりませんでした。

だが郭解が住んでいる土地の役人は彼の名声を疎ましく感じていることから

なんとか移住させようと考え、武帝へ奏上を行います。

匈奴(きょうど)を追い返した名将である衛青(えいせい)は郭解移住の件を知ると武帝へ

「郭解は名声の高い人物ですが彼は自らの資産を分けているので、

そのような資産を持っていないようです。

そのため茂陵へ移住する対象には入っていないと考えられますが・・・・」と進言。

しかし武帝は衛青へ「大将軍に庇い立てを行わせるような人物を茂陵へ移住させないわけには

行かないであろう」として郭解を強制的に移住させることにします。

こうして郭解も移住対象にはなっていませんでしたが、

故郷を捨てて強制的に移住することになってしまいます。

これが郭解の最後となる原因のひとつになります。

 



郭解が居なくなった為、故郷で事件が・・・・。

 

郭解が強制的に移住することになり、故郷から離れていくことになります。

そして郭解が居なくなった故郷では郭解の兄の嫡男が大事件を起こしておりました。

兄の嫡男は郭解を強制的に移住させた人物を楊家が画策したと人から伝え聞きます。

そのため兄の嫡男は楊家の嫡男を殺害して逃亡。

この結果、嫡男を殺害されてしまった楊家は怒り狂い郭家を恨むようになり、

両家は仇敵同士になってしまいます。

郭解が茂陵へ移ってから数日が過ぎた頃、郭解の故郷で再び事件が勃発。

なんと楊家の当主を殺害してしまう事件が発生してしまうのです。

このことを知った楊家は武帝に直訴するために使者を送りますが、

この使者は武帝のところに到着する前に何者かによって殺害されてしまいます。

郭解は何も指示を出していないのにこの事件を聞くと急いで茂陵から逃亡することにします。

茂陵から逃亡することに成功した郭解ですが、数年後に逮捕。

そのまま厳しい取り調べを受けることになります。

 

宰相の判断で一族皆殺しに

 

郭解は厳しい取り調べを受けることになりますが、参考人として呼ばれてきた人は

かれを褒め称えます。

だが彼を尋問していた儒者(じゅしゃ)が「そんな馬鹿なことがあるか。

こいつは人を殺害している人物だぞ」と言い放ってしまいます。

この言葉を発してから数日後彼は殺害されてしまいます。

役人は儒者を殺害したのは郭解が指示したことだと考え、彼を今ままで以上に厳しく尋問しますが、

彼が殺害を指示した証拠もなかったので、釈放することに決まりかけたその時にある人物が、

武帝に進言します。

その人物は漢の丞相になっていた公孫弘(こうそんこう)で武帝へ

「郭解は身分も地位もない人物ですが、人に慕われている人物です。

この人物は手下に殺害を支持していないのかもしれませんが、彼を慕う人物が殺害したことは

間違いないであろうと考えます。

直接自ら殺害したことではないとしても、

他人を使って殺害したことは重罪に当たると思われ、一族すべてを殺害してしまうのが

いいと考えます。」と進言。

この進言を聞いた武帝は頷いて彼の一族をすべて殺害するように指示を下します。

武帝の指示によって郭解は処刑され、郭解の一族までもが処刑されてしまうのです。

こうして前漢時代の大親分であった郭解は亡くなる事になってしまいます。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

前漢時代の後期の大親分としてその名を馳せた郭解。

彼は政治の上で実績を上げたわけでもなく、戦陣で武功を稼いだわけでもありません。

しかし頼られたら死ぬまでその信頼に応えた人物として、史記にその名を残した人物です。

ただ慕ってくる人が郭解を慕うあまりに過激な行動にでしまったことが残念でありません。

彼ら過激派が郭解に相談してから行動を起こすようなことを心がけていれば、

郭解の一族が処刑されないで住んだように思えます。

このような人物が史記には幾人いて、前漢の初期にいた遊侠人である朱家もその内の一人です。

歴史は政治家や将軍の他にも上記のような人物達がいることで、

市井の人々の様子を伺い知ることができるのではないのでしょうか。

 

参考文献 史記 司馬遷 村山孚・竹内良雄訳など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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