漢王朝を裏切って異民族の土地に逃げた盧綰とは何者?

2020年3月6日


 

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劉邦と項羽

 

前漢(ぜんかん)(前206年~後8年)初代皇帝である劉邦(りゅうほう)は、楚の項羽(こうう)と5年間に渡る激戦の末に勝利。前202年には皇帝に即位しました。天下統一を成し遂げた劉邦の次の仕事は、苦楽を共にした部下の粛清でした。

 

韓信と劉邦

 

項羽討伐で活躍した韓信(かんしん)英布(えいふ
)
彭越(ほうえつ
)
などは反逆罪により王位を剝奪、処刑。その他の功臣も同様の処分が行われました。粛清の嵐の中、匈奴(きょうど
)
の地に逃亡した盧綰(ろわん)という人物がいました。今回は廬綰の生涯に関して解説します。

 

自称・皇帝
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「漢王朝 異民族」
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉邦と同じ誕生日の盧綰

盧綰(ろわん)

 

盧綰の出身地は泗水郡沛県豊邑中陽里。生まれた年は、はっきりしませんが劉邦と同年同月同日と言われているので、前256年か前247年と推測されています。2人の父が互いに親しかったことから、2人とも幼い時から非常に仲が良かったようです。劉邦が兄貴、盧綰が弟という関係でした。

 

劉邦から特別待遇される盧綰

酒を飲み民を逃す劉邦

 

小役人の劉邦は、ある日故郷から男たちを連れて秦の都である咸陽まで出発。仕事は咸陽での土木作業です。だが、秦の土木作業がブラックであるのは有名!嫌気がさした男たち数名が脱走。脱走者が出ると、責任者は死罪です。

 

「小役人なんてやめよう!役人なんてやめて、縛られない生き方をしよう。そうだ夜盗になろう!」

 

「会社に縛られない生き方をしたい。そうだYOU TOUBERになろう!」と最近の若者のようなノリで夜盗になった劉邦。盧綰も劉邦が夜盗になったことを聞くと、急いで故郷を離れます。こうして彼は劉邦軍の所属となりました。

 

劉邦

 

劉邦が反秦の挙兵をした時も各地を転戦。さらに項羽との戦いでも劉邦の従兄の劉賈(りゅうか
)
と一緒に楚軍の補給基地を襲撃して、項羽を窮地に陥れて勝利に貢献しました。項羽討伐後も盧綰は劉邦から特別待遇を受けました。それは寝室の出入り自由でした。中国では部下が主の寝室に勝手に入ってよいものではありません。ところが劉邦はそれを許可したのです。劉邦と盧綰の関係は、劉備で例えるなら関羽・張飛のような関係でした。

 

盧綰の逃亡

サッカーボールを蹴る劉邦

 

ところが劉邦と盧綰の友情も終わりがやってきます。前202年に項羽が討たれると、燕王の臧荼(ぞうと
)
が劉邦に対して反乱を起こしました。この反乱は間もなく鎮圧されて、臧荼は処刑。盧綰は混乱の最中に次の燕王に任命されました。

 

韓信

 

ところがしばらくすると、韓信・彭越・英布などの功臣が次々と劉邦により粛清されていきます。軍事力のある彼らは項羽討伐の時は役に立ちましたが、太平の世では劉邦にとっては邪魔な存在だったのです。前195年に英布との戦いで矢傷を負った劉邦のもとに、盧綰が謀反を計画しているとデタラメな告発が行われました。怒った劉邦は討伐軍を差し向けます。情報は盧綰の耳にも入りました。盧綰は「陛下は病気で気が動転しているのだ。治ったら考え直してくれる」と冷静でした。

 

呂雉(りょち)

 

しかし、劉邦は矢傷がもとで間もなくこの世を去りました。劉邦の後を継いだのは恵帝(けいてい
)
です。だが実権を握っているのは母親の呂后。韓信も彭越も彼女の手により殺害されていました。それを知っていた盧綰は、自分も殺されると悟り異民族である匈奴の地に逃げ込みました。匈奴の冒頓単于は盧綰を歓迎してくれますが、やはり環境が合わなかったのでしょうか。盧綰はわずか1年程度で亡くなりました。

 

漢代史ライター 晃の独り言 盧綰を主人公にしたマンガが存在した?

三国志ライター 晃

 

ネット検索していたら盧綰を主人公にしたマンガが存在することが判明しました。題名は『レッドドラゴン』。池野雅博氏の原作であり、『月刊少年エース』で連載されていたものでした。2年前まで連載されていた作品なので、もしかしたらお近くの書店に売っているかもしれません。無い時は大型書店、またはWEBで探すことをお勧めします。私は試し読みをしました。

 

なるほど・・・・・『キングダム』に慣れ過ぎたら、他の歴史マンガを読むと恥ずかしくなる(笑)

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

『レッドドラゴン』について知っている人はコメントをください。

 

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楚漢戦争

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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