清洲会議(きよすかいぎ)って何なの?実は天下統一への重要局面を会議していた!

2017年5月5日


 

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敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

清洲会議(きよすかいぎ)。この会議は羽柴秀吉が山崎(やまざき)の戦いで、織田信長(おだのぶなが)を殺害した明智光秀(あけちみつひで)を討ち果たした後に行われる会議です。

 

清須会議に参加する池田恒興 柴丹羽長秀、羽柴秀吉、柴田勝家

 

この会議の場所は織田家の最初の本拠地としていた尾張(おわり)清洲(きよす)城で、行われた会議なので清洲会議と命名されることになります。

海上での戦い(地図と本)

 

清洲会議には元織田家の重臣達が遠路はるばる集合して、清洲城で会議を開くことになるのですが、清洲城で一体何の会議をしたのでしょうか。実はこの会議で非常に重要な案件が話し合われることになるのです。今回は重要案件が話し合われた清洲会議についてご紹介していきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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清洲会議開催決定

明智光秀を馬鹿にする豊臣秀吉

 

秀吉は明智光秀を山崎の戦いで撃ち破った後、光秀討伐軍の総大将であった織田信孝(おだのぶたか)と一緒に安土城へ入城。光秀を討伐したことによって織田軍の内乱は終焉を迎えることになるのですが、問題は山積みでした。

 

問題その1として織田信長の後継者をいったい誰にするのかという事です。妥当に考えるならば信長の息子である織田信孝・織田信雄(おだのぶかつ)のどちらかが信長の後継者と名乗れば解決しそうですが、どちらも仲が悪く勝手に信長の後継者と名乗れせれば、再び織田家の中で内乱が勃発する危険性がありました。

柴田勝家

 

問題その2としては信長が拡大した織田家の領土問題です。信長が亡くなったことで信長の直轄領が空白地帯となってしまい、そのまま放置プレイしていれば誰かに占領されてしまう恐れがありました。これらの問題を解決するため、織田家筆頭家老である柴田勝家(しばたかついえ)が織田家の重臣達を清洲城に集合させることにします。

 

清須会議a 丹羽長秀、羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興

 

こうして清洲城で上記で上げた問題解決や今後の展望を話し合うための会議が、開催されることになります。

 



宿老クラスの武将が集結

 

勝家は北陸の要所に武将達を配置して、上杉家の逆襲があってもいいように手当を行った後、尾張(おわり)・清洲城へ向かいます。羽柴秀吉も長浜(ながはま)城で清洲会議で話し合いが行われる内容を事前に検討した後、清洲城へ向かっていきます。

 

丹羽長秀

 

さらに秀吉と一緒に光秀討伐戦で活躍した丹羽長秀(にわながひで)池田恒興(いけだつねおき)も勝家に呼ばれたため、清須へ向かって行くことになります。こうして織田家の宿老クラスの人物たちが清洲城に一同に介することになるのです。

 

スキッパーキ(はてな)

 

あれ!?そういえば一人司令官クラスの武将がいたような気がすると気づいた皆さん。皆さんは戦国時代のちょっとしたマニアと言っていいと思います。そうです。織田家には一人隠れた司令官クラスの宿老がおりました。

 

その名を滝川一益(たきがわかずます)と言います。彼は清洲会議の主催者である柴田勝家に呼ばれませんでした。一体なぜなのでしょうか。

 

滝川一益が呼ばれなかった理由とは?

武田勝頼

 

織田信長は甲斐(かい)武田勝頼(たけだかつより)を滅亡させた後、滝川一益を関東方面司令官に任命します。滝川一益は「信長様。わっちは年で戦に耐えられません。茶器を信長様から頂いて引退しようと思うのですが・・・・」とお願いします。

鼻をほじりながら無関心な織田信長

 

すると信長は「おみゃ~に渡す茶器はね。しっかり働け」と言われてしまい、渋々関東方面司令官の地位を受けたそうです。

燃える本能寺

そんな彼にも本能寺の変のニュースが届きます。一益は驚いてしまいますが、このニュースを聞いて数日後北条家が一益軍に襲いかかってきます。一益は北条軍を撃退するため激闘を繰り広げますが、北条軍の攻撃を弾き返すことができずに敗北してしまい、一益の味方となっていた上州の豪族達は四散してしまいます。

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

そのため、滝川一益の軍勢は激減することになり、命からがら所領である伊勢(いせ)へ舞い戻ってくるのです。勝家は一益が司令官でありながら北条軍に大敗して、軍団を四散させてしまったことから彼を清洲会議に呼ぶことをしませんでした。こうして一益抜きで清洲会議は行われることになります。

 

清洲会議の第一議案:信長の後継者を誰にするか

 

さて清洲城に入城した柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興らは、とりあえず一通りの挨拶を述べた後、清洲会議の第一議案である織田信長の後継者を誰にするか話し合います。通説ですと柴田勝家が織田信孝こそ信長の後継者とするのがいいと指名。

 

清須会議b 丹羽長秀、羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興

 

しかし羽柴秀吉は勝家の意見に反対して「信忠(のぶただ)様の嫡男・三法師(さんぽうし)様こそ織田信長様の正統後継者にふさわしい」と提案。この意見に丹羽長秀や池田恒興が賛成したことによって、織田信長の後継者は三法師に決まることになります。

西遊記巻物 書物

 

だが最近の研究によると信孝を推していた柴田勝家も三法師を織田家の後継者にした方がいいと秀吉の意見に賛成していたとする研究結果がだされているそうです。レンも勝家・秀吉両名が三法師を信長の後継者とする動きが正しいのでは、ないかと考えます。

 

その理由として、山崎の合戦で大した活躍をしていない信孝や信長生存時からバカ殿と噂されていた信雄が信長の後継者となれば、織田家が乱れてしまい安定した統治を行うことができないと秀吉と勝家が考えていたのではないのでしょうか。また一次資料として「金井文書」や「多聞院日記(たもんいんにっき)」に秀吉・勝家両名が三法師を信長の後継者とするべしと提案している記録が残されているそうです。

 

こうして第一議案である信長の後継者が決定されることになります。

 

第二議案:空白となった織田家の領土問題

非常に極悪な表情をしている豊臣秀吉

 

さて次に行われたのは空白となった織田家の領土問題です。この問題はスパット解決することになります。まず秀吉は自らの本拠地を放棄して柴田勝家に上げてしまいます。勝家は北陸の越前(えちぜん)を安堵し、秀吉が領有していた北近江(おうみ)三郡を勝家が領有することになります。さらに丹羽長秀には本拠・若狭(わかさ)を安堵され、近江から二群を与えられることになります。

 

池田恒興

 

そして池田恒興は摂津(せっつ)から三郡を与えれることになり、この会議に参加した諸将は秀吉以外加増されることになります。秀吉は北近江を放棄した代わりに山城(やましろ)を貰うことになるのです。さてこれら第二議案については、秀吉が勝家の代わりに主導権を握っていたのではないかと考えられます。秀吉はこの会議が終わった後、播磨(はりま)姫路(ひめじ)城へ帰還すると信長が好んで舞った幸若舞(こうわかまい)である「敦盛(あつもり)」を舞って、大喜びしたとする記載があります。

 

領土の割り振りは君主にのみ許された専断権であり、清洲会議で秀吉手動でこの国の割り振りが行われたのであれば、秀吉が姫路で上機嫌に敦盛を舞った記述にも納得できます。しかし勝家が君主の専断権を行使している秀吉の行動に黙っているわけがありませんでした。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

清洲会議によって織田家の後継者が決まり、織田家が有し空白地帯となっていた所領問題も解決することになります。これで再び織田家が一枚岩となって信長が果たせなかった天下静謐に向かって邁進するのかといえばそうではありませんでした。

 

金の亡者の豊臣秀吉

 

勝家は清洲会議後の秀吉が調子づいていく姿を見て、秀吉に敵対する意思を見せ始めていきます。そして秀吉と勝家の敵対関係は抜き差しならないところにまで、発展していくことになるのです。

 

参考文献 ソフトバンク新書 秀吉家臣団の内幕 滝沢弘康著など

 

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