歴史漫画は数あれ、本格的に元寇(げんこう)を扱った漫画はこれが初めてかも・・
それが、たかぎ七彦原作の、アンゴルモア元寇合戦記です。
同、漫画は、当初サムライエースに連載され、同紙休刊後はコミックウォーカーに
連載されているWEB漫画なのですが、2015年2月にコミックス1巻が
発売される前から予約が出る人気ぶりで、現在7巻までが発売されています。
はじさんは、三国志がメインですが、一方で歴史漫画家さんを応援する方針から
今、旬の歴史漫画にスポットを当てて、継続的に連載します。
その第一弾が、こちらのアンゴルモア元寇合戦記です。
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この記事の目次
アンゴルモア 元寇合戦記 時代
アンゴルモア元寇合戦記の時代は、13世紀後半の日本です。
時代区分で言うと鎌倉時代の中期に辺り、日本国内から戦乱が消えた一方で、
固定された領地の相続を巡って、武家一門が争い、悪党と呼ばれる集団が生まれ
社会混乱から建武の新政へと繋がっていく過渡期になります。
元寇(げんこう)とは、モンゴル帝国の一部である元王朝、フビライ・ハンによる
二度に渡る日本侵略の事を意味していて、西暦1274年の文永の役と
1281年の弘安の役の二回があります。
現時点で、アンゴルモア元寇合戦記は、文永の役の序盤を扱っているので、
この記事でも、特に断りがない限りは、文永の役について記述します。
アンゴルモア 元寇合戦記 息詰まる展開
アンゴルモア元寇合戦記の舞台は対馬(つしま)です。
モンゴル、高麗(こうらい)、宋(そう)兵、女真(じょしん)兵の連合軍は、
朝鮮半島の合浦(がっぽ:現、韓国馬山)を出港し日本本土と朝鮮半島との中間にある
対馬を最初の攻略地としました。
しかし、迎え討つ対馬サイドが、守護代、宗資国(そうすけくに)以下、
80騎余りなのに対してモンゴル、高麗、宋、女真連合軍は軍船900隻、
総兵力は3~4万という、お話にならない数の開きがありました。
もちろん漫画では、それだけではなく、主人公、朽井迅三郎(くちいじんざぶろう)を
中心に鎌倉幕府によって対馬に流罪にされた犯罪者、つまり流人が数十人、
さらに、この時代より六百年前の白村江の戦いの時に大和朝廷から派遣された
刀伊祓(といばらい)という独自の習俗と戦闘スタイルを持った防人(さきもり)の
末裔が加わり、絶望的な戦いを盛り上げていく事になります。
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アンゴルモア 元寇合戦記 緊迫感
アンゴルモア元寇合戦記の魅力は圧倒的戦力差から産まれる緊迫感です。
前述した通り、モンゴルと連合軍は、3~4万人なのに、
対馬武士団サイドは500名にさえ満ちません。
しかも、モンゴルは掠奪だけして島を引き上げるのではなく、
この対馬を兵站基地に造り変え、肥後上陸を考えています。
その為の前線基地として対馬は必要なので、モンゴル軍は小さな島に
七日間に渡って居座り対馬の武士団と刀伊祓衆を殲滅させようと、
彼等が立て籠もる石垣を持つ山城、金田城に攻めかかってくるのです。
おまけにモンゴルは問答無用であり、話し合いに応じる様子もありません。
村があれば焼き払い掠奪し、男は皆殺し、女、子供は手に穴を開けてロープを通し、
船に結びつけておくという残虐な方法を平気で使います。
そんな巨大で無慈悲な魔王に、朽井迅三郎は、大胆な行動力と知略で、
少数によるゲリラ活動でモンゴルにダメージを与えていきます。
朽井は元、鎌倉の有力御家人で、戦に強い以外は不愛想で無骨ですが、
義経(ぎけい)流という源義経(みなもとのよしつね)由来の剣法を使い、
戦術眼も確かで、戦勝を重ねて流人ながら対馬武士団の信頼を得ていくのです。
ですが、喜んでばかりもいられません、小数の対馬武士団がモンゴルに与える
ダメージは微々たるモノ、一方でモンゴルは負けが続くと本腰を入れて、
兵員を対馬に上陸させていきます。
逆に、対馬武士団は、流人がモンゴルに内通して裏切るなど
寄せ集めならではの困難が降りかかってくるのです。
次々と襲いかかるピンチを朽井がどう切り抜けるのか?
その片時も目が離せない緊迫感がアンゴルモア元寇合戦記の魅力です。
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アンゴルモア 元寇合戦記 漫画だけのオリジナル設定・・
アンゴルモア元寇合戦記には、漫画のヒロイン的な存在として、
守護代 宗資国の娘として輝日(てるひ)姫という少女が出てきます。
お姫様気質が抜けないながら、輝日姫は弓術にすぐれ、弱者に優しく
父、資国や一族郎党が討ち死にを遂げる悲劇にもめげず逞しく成長し
対馬の人々の精神的な支柱になっていきます。
実は、この輝日姫は壇ノ浦で入水自殺したとされている安徳(あんとく)天皇の孫を
母に持っているスーパープリンセスなのです。
安徳天皇の外祖父は平清盛なのでそれだけでも平家の血滅んでない設定ですが、
これに加えて、モンゴルサイドにも、朽木迅三郎が使う義経流そっくりの
剣法を使う両蔵(りょうぞう)と名乗る刺客が登場してきます。
こちらも源義経が平泉で死なずモンゴルに渡った伝説、
チンギス・ハン=源義経説の伏線を張っているっぽいです。
史実を追いながら、平家伝説や源義経=チンギス・ハン説などが
チラチラ見え隠れするのが、アンゴルモア元寇合戦記のスパイスなのです。
アンゴルモア 元寇合戦記 文化が違う~
アンゴルモア元寇合戦記の極めて大きな特徴は、まるで戦闘スタイルが違う、
鎌倉武士団と、モンゴル・高麗連合軍の戦い方や軍装の違いが見られる点です。
かたや、源平合戦さながらに名乗りを挙げながら一騎打ちを挑む鎌倉武士、
そこに笑いながら、矢や火薬兵器を雨のように撃ち込む集団戦法のモンゴル
漫画では、鎌倉武士、モンゴル兵、高麗兵、宋兵、そして女真兵の衣装も
描き分けられ、まるで異世界の話のようで面白いです。
そして、国土侵略の危機に必死に立ち向かう、鎌倉武士と、アジア全域で連戦連勝し
傲慢な誇りと凶暴な戦闘力を発揮する勇猛なモンゴル兵の衝突は、島国VS大陸の
スケールの大きな合戦を感じさせてくれます。
アンゴルモア 元寇合戦記 kawausoの一言
元寇は随分長い間、攻め寄せてきたモンゴル軍が台風で2回とも勝手に壊滅した
神風頼みの戦争だったと言われてきました。
しかし、事実は鎌倉幕府もしっかりと反乱分子を処分して組織固めをし、
海岸線に長い防塁を築いて船からの上陸を防ぎ、鎌倉武士も、奇襲や夜襲などで
積極果敢に応戦した結果、モンゴル軍は思うように上陸を進められず
結果、暴風雨に遭遇して敗れ去ったのが正しいようです。
元寇を退けたのは、神風ではなく鎌倉武士の頑張りだったわけですね。
もちろん、アンゴルモア元寇合戦記でも、そんな鎌倉武士の頑張りが随所で見られます。
元寇って何だっけ?という方は歴史の再勉強としても役に立ちますよ。
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