ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志・迫る超高齢化社会」のコーナーです。
三国志に登場する武将たちは年齢不詳ばかりで、
若武者なのか、中堅なのか、ベテランなのか、老人なのか判別がとても難しいです。
蜀の趙雲あたりはいつまでたっても若大将というイメージが強いですよね。
まるで巨人の原辰徳さんのようです。
そんな中で極めて強烈なインパクトを持っているのが蜀の「黄忠」、「厳顔」です。
2人まとめて「老将コンビ」などと呼びます。カテゴリーが老人でバッチリ固定されているのです。
そもそも過酷な戦場で老人が活躍などできるものなのでしょうか。
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高齢化社会の日本でいう老人
老人は、一般的に「高齢者」という表現になりますが、65歳以上の世代を指します。
高齢化社会の傾向が強まっている日本ではこれを70歳にしようとする動きがあります。
定年や年金受給を70歳からにするというものです。
一方で高齢者の自動車事故が問題視されたりもしています。
2015年時点での日本の65歳以上の割合は26.3%です。
4人に1人が老人です。これが2050年には36.3%になります。
3人に1人は老人です。
さらに驚くべきことに2050年には100歳以上の人口が44万人を突破するそうです。
生産年齢(15歳から64歳)1人に対して、
若年(14歳以下)・高齢(65歳以上)1人ずつを負担しなければならない時代になります。
まさに超高齢化社会の到来です。
黄忠は何歳だったのか?
黄忠と厳顔は老人というイメージがありますが、一体何歳だったのでしょうか。
実際のところ、厳顔が老人であるという記載は正史にはありません。
三国志演義独自の表現になっています。厳顔が老将だったかどうか不明ということです。
では黄忠はどうでしょうか。
三国志演義では関羽と黄忠が争ったとき、黄忠はすでに60歳を超えていたという設定になっています。
西暦208年のことです。
黄忠はその後、益州侵略で武功をあげ、
さらに西暦219年の定軍山の戦いで魏の名将・夏侯淵を討ち取ります。
つまり黄忠は70歳を超える状態で山岳戦に臨み、さらに敵の総大将の首を討ったのです。
これは70歳でも充分に戦場で働けるということを示しています。
これを「老黄忠」と呼び、
現在でも「老当益壮」(老いて益々壮んであること)の代表格とされています。
老黄忠の存在価値
蜀は呉や魏に比べて圧倒的に人口が不足しています。
蜀は呉の50%の人口数であり、さらに魏の25%の人口数です。
当然ながら兵力も変わってきます。兵役に就ける人口の数が異なるからです。
軍師の苦心や、武将たちの力量、兵の訓練度である程度は補えるものの、やはり寡兵は不利になります。
当然のように異民族の内地への帰化はどこの国でも実施しています。
もはや猫の手も借りたい状態なのです。
そうなると蜀のとるべき手段は一つしかありません。現代の日本と同じです。
65歳だろうが、70歳だろうが働いて成果をあげてもらわなければ困るという話になります。
高齢者に頼るしか打つ手がないのです。
そこで高齢者を勇気づける存在が必要になります。それが「黄忠」だったのではないでしょうか。
正史で関羽が「あの老兵と同列など納得がいかない」と不満を漏らしていますが、
老兵の存在すらも貴重だったのが蜀の台所事情だったということです。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
老人でも立派に頑張れるというメッセージがこもったこの「老黄忠」という言葉。
もしかすると、三国志が今後の日本に一番影響を及ぼすのは、このエピソードになるかもしれませんね。
私も33年後の2050年には確実に高齢者の一員なので、老黄忠の志を胸に頑張ります!
皆さんもそんな社会システムが成立できるよう協力してくださいね。
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