霍光(かくこう)とはどんな人?名将・霍去病の弟は違った意味でエキセントリックな人物だった

2017年5月21日


 

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前漢の武帝時代、異民族である匈奴(きょうど)が中華に侵入して広大な領土を有しておりました。

武帝は匈奴が治めている領土を奪還するべく、衛青(えいせい)を将軍に任命して出陣させます。

衛青は武帝の期待に応えて、匈奴が居座っていた漢の領土を奪還することに成功。

さらに衛青の甥である霍去病(かくきょへい)の活躍によって、

匈奴軍に大ダメージを負わせることに成功し、彼らを長城以北へ追いかえします。

しかし霍去病は若くして亡くなってしまいますが、彼には弟が居りました。

その名を霍光(かくこう)といいます。

彼は武帝の跡を継いだ皇帝に仕えることになるのですが、

兄・霍去病と同じようにとんでもない人物でした。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武帝から皇太子を任される

 

漢の武帝は皇太子である劉弗陵(りゅうふつりょう)が幼くして皇帝になる可能性が、

あることに危惧を抱いておりました。

そこで彼は群臣の中から弗陵を任せることのできる人材を物色し、

一人の人物が武帝の目に止まることになります。

その人物の名は霍光と言います。

対匈奴戦で若くして活躍し、史上初の驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)に任命された霍去病の弟です。

彼は軍に関係した役職に就くのではなく、文官として武帝に仕えておりました。

武帝は信頼が置けてお気に入りであった霍去病の弟であることから彼に

「皇太子である弗陵の面倒を見てくれ」と要請するとともに、

周王朝の周公旦を真似るようにと悟らせるために周公旦(霍光)が周公(弗陵)を背負って歩く

絵を彼に贈ります。

こうして弗陵のことを頼んだ武帝は数年後に亡くなってしまい、

武帝の跡を継いで弗陵が皇帝の位につくことになります。

この時、皇帝・劉弗陵はなんと八歳でした。

 

霍光追い落としの計画発動するが・・・・

 

霍光は皇帝として弗陵が就任すると大司馬大将軍に任命され、

漢の国の政治・軍事を取り仕切るようになります。

彼は慎み深く、驕ることなく政治を行っていくことになります。

霍光が漢の実権を一人で握っていることに不満を感じていた上官桀(じょうかんけつ)、

武帝の幼友達であった桑弘羊(そうこうよう)、燕

そして現皇帝の姉が結託して霍光の権威を奪う計画を立てます。

この計画を実行するべく漢の朝廷に出入りしていた三人と燕王は部下を使って、

皇帝である弗陵へ「大司馬大将軍である霍光は軍権を持っていることを利用して、

勝手に近衛軍の将校を増員しております。

もしこのまま霍光が軍権を利用して将校や兵士を増員する事態になれば危険です。

すぐに彼の爵位を全て剥奪(はくだつ)したほうが良いでしょう」と進言させます。

彼ら三人の計画ではこの上奏文を重臣達がいる場で会議にかけると考え、

霍光を重職から外すべきか否かを討論する会議で、

桑弘羊や上官桀らが他の重臣を説得して、霍光の地位を追い落とす計画でした。

 

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霍光と弗陵の信頼関係の厚さに阻まれる

 

皇帝・弗陵は燕王の配下から受け取った上奏文を読み終えると燃やしてしまいます。

そして重臣が居並ぶ会議の席に霍光を呼び

「最近朕(ちん=皇帝の一人称)の元に燕王から上奏文が上がってきた。

この内容は大司馬大将軍である霍光が近衛の将校を増やしたことに危機感を募らせている

内容であった。

だがこの上奏文にはおかしな点がある。

それは遠方にいる燕王がなぜ、霍光が最近近衛の将校を増やしたことを知っているのか。

また霍光が朕をもし殺害するつもりであるならば、

わざわざ将校や兵力を増やすことをしないであろう。」と述べ、

霍光を中傷した上奏文を一切取り上げないことを示します。

この出来事を見ていた上官桀と桑弘羊は驚きますが、

めげずに再び霍光に権力を集中させることがいかに危険であるかを進言。

すると弗陵は二人に対して激怒し「霍光は忠臣である。

また父上である先帝からも厚い信頼を寄せていた人物である。

このような人物に限って危険なことをしでかすことはあるまい」と

語気を強めて叱りつけます。

弗陵から怒られたふたりはションボリして宮殿から出ていくことになります。

 

前漢ライター黒田レンの独り言

 

さて霍光を追い落とそうと考えていた人々はその後どうなったのでしょうか。

彼らは上官桀の屋敷に集合して、霍光を殺害する計画を立案。

上官桀の屋敷で宴会を開くという名目で霍光をおびき寄せて殺害してしまおうと言う計画でした。

しかしこの計画は未然にバレてしまい弗陵が派遣した役人によって彼らは捕らえられてしまい、

処断されてしまいます。

こうして霍光は皇帝から厚い信頼を寄せられ、

漢の政治を任されて権力を一身に集めておりました。

前漢時代末期にこれ程までに権力を集めて、

皇帝からも信頼されていた人物は霍光ただひとりではないのでしょうか。

霍去病もとんでもない人物でしたが、霍光も霍去病と違った意味でとんでもない人物でありました。

 

参考文献 徳間書店 十八史略 市川宏・竹内良雄著など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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