真紅の衝撃!山県、馬場、内藤、武田騎馬軍団、長篠に散る

2017年5月30日


 

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長篠(ながしの)の戦いは織田信長が実行した鉄砲により新戦術「包囲一斉射撃」によって

武田軍の主力を殲滅。

信長はこのチャンスを活かして武田軍に総攻撃を行うように織田全軍に命令を発します。

武田勝頼(たけだかつより)は真田隊・内藤隊が織田軍の鉄砲の攻撃によって壊滅的な

損害を受けたことを知ると撤退をするべく指示を出し、

自らが織田軍の追撃を防ぐべく殿を行う準備を開始。

さて今回は長篠の戦における織田軍の追撃戦と織田の追撃を防ぎ、

武田の陣代・勝頼を逃がすべく殿を行って奮戦した老武将をご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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赤備え・山県昌景討ち死に

 

山県昌景(やまがたまさかげ)は徳川軍と激しい戦いを行っておりましたが、

織田軍のけたたましい鉄砲の音を聞いてすぐに行動を開始します。

彼は徳川軍へ猛攻をかけるのではなく、陣代・勝頼の元へ向かって走り出します。

山県昌景を討ち取ろうと徳川の鉄砲隊は思い思いに彼めがけて射撃を行いますが、

中々当たりませんでした。

昌景は馬にムチを当てて疾駆していきますが、

ついに鉄砲の射撃に当たってしまい亡くなってしまいます。

武田の赤備え隊を率いて織田・徳川軍を震え上がらせた名将・山県昌景は、

ここで散ることになります。

 



自ら織田軍の追撃を阻止するために・・・・

 

武田勝頼は織田軍本陣へ切り込んでいった

真田信綱(さなだのぶつな)昌輝(まさてる)兄弟は討ち死、

内藤昌豊(ないとうまさとよ)隊の軍勢が壊滅的なダメージを負ったことを知ると

自ら殿を行うべく準備を開始。

そんな中、要衝・丸山に陣取っていた馬場信春(ばばのぶはる)が勝頼の元に帰陣。

彼は自ら殿を行おうとする勝頼に向かって思いっきりグーで引っぱたくと

「わしが殿を行うからお主は甲斐(かい)へ戻って新しい新しい武田を作るべし」と説得。

勝頼は信春の進言を受け入れ武田全軍に撤退の合図である陣貝を吹き鳴らします。

そして馬場信春は武田勝頼を逃がすべく軍勢をまとめて移動を開始。

 

武田軍の諸将の動き

 

撤退の陣貝が戦場に響き渡ると武田家の諸将が動き始めます。

ほとんどの武将達が撤退を行う中、

ある武将は撤退を潔しとせず織田軍へ突撃を行う部隊もおりました。

しかし織田軍へ突撃を行った部隊はすぐにやられてしまいます。

また撤退を開始した部隊もおりますが、

織田・徳川軍連合軍の猛追撃を阻止するべく立ちはだかった部隊もいくつもありました。

しかし連合軍の追撃を阻止するべく立ちはだかった部隊もすぐに壊滅してしまい、

討ち取られてしまいます。

連合軍の追撃によって討ち取られてしまった名だたる武田の武将の一例として

内藤昌豊、小幡信貞(おばたのぶさだ)など信玄(しんげん)時代に、

武田を支えてきた多くの武将達がこの戦いで討ち取られてしまいます。

そして連合軍の追撃戦の激戦地であった猿ヶ橋(さるがばし)では、

武田の殿隊としてあの老将が部隊をまとめて残っておりました。

 

馬場信春(ばば のぶはる)の奮戦

 

馬場信春は勝頼と別れて猿ヶ橋に駐屯すると部隊を三つに分けて駐屯させます。

まず本隊である馬場隊は猿ヶ橋の橋付近に駐屯して囮として陣取ります。

残りの二隊は猿ヶ橋の左右にある小高い丘に駐屯させて、

敵軍が馬場隊に攻撃を仕掛けた時に一斉に飛び道具を使って攻撃を開始する

作戦を立てます。

馬場隊がこの地に駐屯した後、

いくつもの味方部隊が彼の部隊を追い越して退却。

こうしていくつもの隊が退却するのを見送った後、

武田軍を追撃してきた織田軍が馬場隊に攻撃を仕掛けてきます。

馬場隊は攻撃をしかけてきた織田軍を苦もなく打ち破って、

敵将を討ち取ることに成功しますが、

その後も織田・徳川連合軍が押し寄せてきます。

信春は長篠の戦いの時62歳であったそうですが、

彼の奮戦ぶりはとても62歳に見えないほどで自ら槍を奮って敵を討ち取っていきます。

しかし織田・徳川軍の度重なる攻撃によって馬場隊の兵士は徐々に減っていき、

ついに信春は討ち取られてしまいます。

だが彼の奮戦によって武田勝頼が撤退する時間を稼ぐことに成功し、

勝頼はなんとか本拠地・甲斐(かい)古府中(こふちゅう)へ戻ることができました。

 

長篠の戦いで敗北した武田家のその後

 

武田軍はこの長篠の戦いによって敗北してしまったことで、

国力が少しずつ落ちていくことになり、武田家陣代・勝頼の求心力も少しずつ低下。

しかし勝頼を縛っていた武田信玄以来の老臣や重臣達が、

長篠の戦いで大勢討ち死にしたため、彼の意見が通りやすくなります。

また信玄以来の老臣や重臣達が討ち死にして居なくなってしまった為、

若い武将達が台頭してくることになります。

長篠の戦い以降に武田家の若い武将達の中で台頭してきた有名な人物の一例として、

真田昌幸(さなだまさゆき)がおります。

彼は長篠の戦いで兄貴が二人共討ち死にしてしまったため、

真田の家を継ぐことになり、勝頼の側近として台頭してくることになるのです。

 

勝者である織田家のその後

 

勝者である織田軍はこの戦いに勝利した後、信長は岐阜(ぎふ)へ戻って行きます。

彼はすぐに嫡男である織田信忠(おだのぶただ)に、

武田家に攻略されていた岩村城(いわむらじょう)へ攻撃するように命令。

信忠は武田軍の猛将として有名な秋山信友(あきやまのぶとも)が篭城している

岩村城へ猛攻を開始。

岩村城は武田軍の援軍が来ないため降伏しますが、信友は殺されてしまいます。

信長は信忠が岩村城を陥落させた後、

朝倉(あさくら)家を打倒して手に入れた越前(えちぜん)が、

本願寺が扇動する一向一揆衆(いっこういっきしゅう)に奪われてしまっていたため、

この地を奪還するべく羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益(たきがかずます)、

柴田勝家(しばたかついえ)、佐久間信盛(さくまのぶもり)などの諸将へ

出陣するように命令を下し、信長自らも出陣していくことになります。

信長最大の敵であった武田家に甚大な損害を与えることに成功するも

彼に休息する時間はありませんでした。

 

長篠の戦いで勝利した徳川家のその後

 

さて織田軍と一緒に戦った徳川家は長篠の戦いに勝利した後、

どのように展開していったのでしょうか。

徳川家康(とくがわいえやす)は長篠の戦いに勝利した後、

武田家に奪われていた遠江(とおとうみ)の諸城奪還のための軍勢を出陣させ、

遠江の重要拠点である二俣城(ふたまたじょう)、諏訪原城(すわはらじょう)を奪還。

その後鉄壁の城塞と化していた武田家の高天神城(たかてんじんじょう)を包囲。

徳川家も武田家に奪われていた領土を奪還するべく休息する間もなく、

働き続けている状態でした。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

長篠の戦いは織田・徳川家、武田家の明暗をしっかりと分ける

一大決戦と行っていいでしょう。

もしこの戦いで勝頼が織田軍に兵力が劣っていることを理由に撤退をしていた場合、

歴史はかなり変化してたでしょう。

信長は長篠から武田家が撤退してしまった場合、

その後も武田家に苦しめられることになるでしょう。

徳川家康は織田の援軍がやってこないと戦うことができないため、

もしかしたら武田家に寝返っていたかもしれません。

このように考えると信長や家康にとって長篠で武田軍が一大決戦を挑んできたことは、

(決戦開始時は勝てるかどうか不明であったが)

かなりラッキーであったと言えるのではないのでしょうか。

ともかくこの一大決戦以降天下は大きく動いていくことになります。

 

参考文献 講談社 センゴク天正記 宮下英樹著など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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