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執筆者:黒田廉

【日本史の嘘】長篠の合戦は鉄砲三段撃ちのワンサイドゲームでは無かった?

この記事の所要時間: 610




 

織田信長にとって恐怖の対象であった武田家。

武田信玄(たけだしんげん)が西上作戦を決行して、

盟友徳川軍を蹴散らして尾張(おわり)へ向かった時にはかなりの恐怖を持っていたそうです。

(レンの私見ですが・・・・)

しかし信玄が西上作戦(せいじょうさくせん=京都に進軍するための作戦)途中に、

亡くなったことがきっかけで武田軍は本拠地・甲斐(かい)へ撤退。

武田信玄亡き後武田家を率いたのは武田勝頼(たけだかつより)でした。

彼は武田家の当主として君臨したわけではなく、

当主代理として武田軍を率いていくことになります。

実際に信玄亡き後武田家を率いていくことになるのは勝頼の息子である信勝(のぶかつ)でしたが、

まだ幼かったため、勝頼が代理として武田家を率いていくことになるのです。

勝頼は父・武田信玄を超えるべく領土拡張政策(りょうどかくちょうせいさく)を実施。

勝頼が武田家の代理当主となってから武田家は織田家から飯羽間城(いいばさま)、

明智城(あけちじょう)。

徳川家からは高天神城(たかてんじんじょう)など多くの城を一度も敗北することなく、

奪取して武田の勢力は信玄の頃より格段に大きくなっていきます。

そんな中、武田軍は次なる目標である徳川家の長篠城(ながしのじょう)攻略に向かって、

出陣することになります。

この城が武田家、織田家、徳川家の明暗を分けることになるのです。

今回は絶対歴史の教科書や授業では教えてくれないことを教えたいと思います。

ここからは日本の戦国時代がよくわかるマンガ・センゴクから、

武田、織田、徳川の明暗を分けることになった長篠の戦いの準備段階をご紹介したいと思います。

 

センゴクを100倍楽しむ全記事一覧はこちら

関連記事:暴走しているオヤジを追放して当主に就任した武田晴信(たけだはるのぶ)

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織田家に徳川家の使者がやってくる

 

織田信長は長年の宿敵である石山本願寺(いしやまほんがんじ)を討伐するため、

10万の軍勢を率いて出陣します。

この時京都の民衆達は「こりゃ。本願寺も終わりだべな」と噂し合ったと

「信長公記(しんちょうこうき)」にも記されており、

織田信長が本気で本願寺を殲滅するつもりで出陣したことが伺えます。

信長が本願寺討伐のために岐阜城(ぎふじょう)を出陣した後、

この城を信長の長男である信忠(のぶただ)が守ることに。

そんな信忠の元へ一人の使者が飛び込んできます。

彼は徳川家の家臣で小栗重常(おぐりしげつね)といいます。

彼は「武田軍が我が城を攻撃してきたので、援軍を送っていただきたいと思います」と

援軍要請を行います。

信忠は「一応父には伝えてみるが、一体どこへ援軍を送って欲しいのだ」と返答します。

すると重常は「長篠城です」と応えた後、去っていきます。




徳川の要請に応える

 

信長は信忠へ徳川家から援軍要請があったことを伝えられるとすぐに本願寺から軍勢を撤退。

京都において臨時徴税を行い軍資金をかき集めます。

その頃仙石権兵衛(せんごくごんべえ)は石山本願寺から撤退し、

長浜城(ながはまじょう)にいる秀吉隊へ合流。

秀吉は合流した権兵衛ヘ信長から伝えられた命令と現在の状況を

竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)と一緒に説明します。

権兵衛は秀吉へ「此度は武田軍とやり合うのでしょうか」と質問します。

半兵衛は「現状の織田軍では武田軍に勝てる可能性は低いと思います。」と語ります。

すると秀吉は「しかし信長様が戦えと言ったら俺らは命令に従って戦うだけじゃ」と

述べます。

権兵衛はふたりの意見を聞いた後、

兵士たちの所に行って徳川家の救援に向かうことを説明。

兵士達は権兵衛に従っていくことを表明します。

その後、秀吉や権兵衛は長浜城を出陣して岐阜の織田信長の軍勢と合流し、

徳川家の岡崎(おかざき)城へ向かいます。

 

信長、家康と会見し陣営構築を行う

 

信長は徳川家の岡崎城へ入城すると徳川家康と会見します。

武田軍の現状などを信長と語り合った後岡崎城を出陣。

織田・徳川連合軍は兵士達に丸太を持たせて志多羅郷(したらごう)にて、

陣地構築を行います。

兵士達は丸太を武田軍の騎馬隊の攻撃を防ぐための馬防柵として構築し、

堀を作って馬防柵が容易に突破できないように工事を施して、

陣地を完成させていきます。

そんな中、この場所にいるはずのない武将がやってきます。

 

明智光秀登場

 

 

志多羅郷に一人の人物がやってきます。

それはセンゴクではお馴染みの化粧オバケ・明智光秀(あけちみつひで)です。

戦国時代の良質な資料である「信長公記(しんちょうこうき)」には、

長篠の戦いに明智光秀は参加していないことになっております。

しかし光秀はこの長篠の戦いに参加した後、

出世(惟任(これとう)=九州地方の名族の名前の姓を貰うことになる)を

果たす事になるのです。

それはなぜなのでしょうか

 

光秀が長篠の戦に参加していたからではないのか

 

なぜ光秀がこの戦いの後に出世することになるになるのでしょうか。

センゴクではその理由としてこの長篠の戦に参加していたからではないのかとしております。

彼が長篠の戦に参加した証左として長篠の戦いが行われた当時における長篠近辺の土豪の手紙に

光秀の名前が記されていることを挙げております。

果たしてセンゴクに記載されていることが正しいのか、

それとも信長公記に描かれているように明智光秀はこの戦いに参加していないのか。

どちらが正しいのかは長篠の戦いに参加していた武将達にしか分かりません。

しかし今回はマンガセンゴクを参照しているので、

明智光秀が参戦していることにしてお話を進めていきたいと思います。

光秀は志多羅郷へ到着した後、織田信長と武田軍との戦いについて打ち合わせを行います。

信長が光秀と作戦会議を行っている最中、

武田勝頼も山県昌景(やまがたまさかげ)、馬場信春(ばばのぶはる)、

内藤昌豊(なおとうまさとよ)、小山田信茂(おやまだのぶしげ)らの重臣達と

作戦会議を行います。

その後武田軍は滝川(たきがわ)と呼ばれる小川を全軍で渡河し、

背水の陣を敷いて織田・徳川連合軍が布陣している場所から2キロほど離れた場所に

着陣することになります。

こうして両軍は対峙することになるのです。

 

みんなが知っている長篠の戦いとは?

 

皆さんが知っている長篠の戦いはどのようなものでしょうか。

多分このようなものではないのでしょうか。

長篠に布陣した武田勝頼が織田・徳川連合軍に対して騎馬隊で突撃を敢行。

織田・徳川連合軍が突撃してくる武田騎馬隊に対して、

3000丁の鉄砲隊を馬防柵の内側から入れ替わって撃ち放ち、

ワンサイドゲームのように武田軍を撃滅する戦ではないでしょうか。

確かレンの小中高の歴史の教科書にはそのように説明されていたと思います。

(現在の歴史の教科書は分かりませんが)。

だが果たして歴史の教科書の記載が正しいのでしょうか。

武田勝頼が騎馬隊を無謀に突撃させ、織田軍が楽々武田軍に勝利したのでしょうか。

しかし史実の長篠の戦いには準備段階のうちに二つの謎が

あるとされていることをご存知でしたでしょうか。

 

史実の長篠の戦い準備段階における謎その1:勝頼は一体どこ!?

 

織田・徳川連合軍と二キロ程隔てて武田軍は着陣。

こうして両軍は対峙することになるのですが、信長には不安要素がありました。

それは武田軍の大将である勝頼が一体どこにいるか分からないことでした。

信長の予想では、

武田軍の後方にある鳶ヶ巣(とびがす)砦に勝頼がいるのではないのかと考えておりました。

徳川家の重臣である酒井忠次(さかいただつぐ)は信長と同じような予想を立て信長へ進言。

信長は勝頼の諜報部隊が陣営に紛れている可能性を考慮して彼の進言を退けます。

信長は一旦忠次の進言を退けますが再度彼を呼んで4000の兵を与え、

武田軍の後方にある鳶ヶ巣砦へ攻撃を行わせます。

しかし勝頼はここに駐屯しておらず信長の予想は外れてしまいます。

勝頼は一体どこにいたのでしょうか。

これが長篠の戦いにおける第一の謎です。

 

史実の長篠の戦いにおける謎その1の答え:勝頼は前線に布陣していた!!

 

さて信長の予想は外れてしまい、

酒井忠次に与えた軍勢は武田軍の退路を断つだけにとどまってしまいます。

では勝頼はどこにいたのでしょうか。

勝頼は武田軍と一緒に織田・徳川連合軍の前面に布陣しておりました。

さてこれが第二の謎です。

これのどこが長篠の戦いにおける謎なのでしょうか。

 

史実の長篠の戦いにおける謎その2:なぜ勝頼は全軍と一緒に出張ってきたのか

 

日本の戦国時代や三国志での合戦では、

一国の大将(もしくは君主)が戦の最前線に陣取ることなどほとんどありません。

その為信長は勝頼を逃がさないためどこに彼が布陣しているのかを物見を使って、

調査しておりました。

しかし勝頼は武田全軍と一緒に布陣しております。

なぜ一国の大将が最前線に布陣しているのでしょうか。

 

長篠の戦いにおける謎その2の答え:勝頼が総大将ではないから

 

それは武田勝頼が武田軍の大将ではないからです。

彼は武田信玄が使用していた風林火山(ふうりんかざん)の旗を使用することが、

許されていませんでした。

その理由は彼が武田家当主ではなく、

当主代理(戦国時代の武田家が使っていた表現を借りると、

陣代(じんだい))であったからです。

この長篠の戦の時に勝頼は、

武田当主ではなく武田家の一武将として参加していたことが、

最前線に駐屯していた理由と言えるのではないのでしょうか。

こんがらがってしまうかもしれないのでまとめます。

第一の長篠の戦いにおける謎は勝頼の居場所であり、

この謎は連合軍の正面に布陣していることでした。

そして第二の謎として勝頼はなぜ最前線に陣取っていたのか。

それは武田勝頼が武田軍の一武将として参加していたからであり、

織田軍との最前線に陣取っていたとされております。

そのためもし武田軍がこの戦いに敗北してしまった場合、

武田軍の武将として討ち取られる覚悟を持って最前線に陣取っていたと推測できます。

上記二つが長篠の戦いの準備段階における謎でした。

 

それぞれの対戦相手が決まる

 

長篠の戦いは三方面で戦が推移することになります。

まず一番南側に駐屯している徳川軍に対して、

武田軍は最強と言われる赤備え率いる山県昌景(やまがたまさかげ)を配置。

次に織田軍の前田利家(まえだとしいえ)、佐々成政(さっさなりまさ)、

野々村正成(ののむらまさしげ)率いる鉄砲隊が駐屯している中央に対して、

武田軍は武田二十四将のひとりである内藤昌豊(ないとうまさとよ)や

一門衆・武田信廉(たけだのぶかど)らの諸将を配置します。

そして織田軍の一番北方に駐屯している佐久間信盛(さくまのぶもり)隊に対して、

武田軍は不死身の鬼美濃(おにみの)こと馬場信春(ばばのぶはる)を布陣。

こうして決戦体制は整いいつ両軍が戦を初めてもおかしくない状況になるのです。

次いでに仙石権兵衛(せんごくごんべえ)は佐久間隊右脇に配属されることになり、

戦う相手は六文銭(ろくもんせん)で有名な真田信綱(さなだのぶつな)と

真田昌輝(さなだまさてる)兄弟と戦うことになります。

こうして織田軍と武田軍の対戦相手が決まった頃、

一番南に位置していた武田軍最強の赤備え隊が動き始めるのです。

 

戦国史ライター黒田レンのひとりごと

 

両軍は長篠で準備段階を終えて決戦に入る体制が整いつつありました。

そして両軍の戦いがついに始まることになります。

しかし長篠の戦いには歴史の授業で教えてもらえないことが満載に詰まっております。

次回は長篠の戦いの詳細についてご紹介します。

 

次回記事:授業や教科書では教えてくれない長篠の戦いをセンゴクから見てみよう 

関連記事:楽しみながら戦国時代のエピソードを学べる歴史マンガ3選

関連記事:【センゴク祭り】織田家のトップに就任してから9年の歳月をかけた尾張統一

 




 

黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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