三国志というと、1800年の大昔であり、現在とはだいぶ違う古代の物語のように思えます。
それは、事実でもありますが、一方で、単純な仕掛けながら、今でも、使えそうな道具が、その辺りにポンと置いてあったりもするのです。今回は、三国志イイモノセレクションと題して、三国時代のイイモノを紹介しようと思います。
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時は金なり、時間に正確だった三国志の時代の市場
三国志の時代には、すでに市場が存在していた事が墳墓の装飾画などから分かっています。市場には、酒屋や、肉屋のような店が見られました。当時の肉屋には冷蔵庫がないので、肉屋は近くで家畜も飼育していて、注文が入ると、その場で屠畜して新鮮な肉を出していたようです。
当時の肉屋は上半身裸で、短パンを穿いており、返り血で衣服が汚れないように工夫していますが、あごひげを蓄えていて筋骨隆々、なかなか、ワイルドだろう~な風貌です。
酒屋は、内側にスペースがあり、持ち帰って飲む事も、店内でくつろいで飲む事も出来たようです、また、秤を持って、何やら、客の持ってきた品物をはかる人が見られる事から、穀物を売買する業者もあったようです。これらの店は、まとめられて、城郭の一角にあり、城門が二箇所設けられて、朝になると開き、陽が暮れると閉じていました。
時間は正確に、日常使われた水時計
三国志の時代には、都市は、各区画(房と言う)毎に、門が設けられ、日没には、門が閉じられて番人が立ち、出入り出来なくなりました。そこで、季節に関わらず、正確な時間に門を閉じられるように、水時計が使用されていたようです。
三国志の時代の水時計は、円筒形で青銅製、中に浮きがついています。浮きには、一本の棒がついていて、それが、上部にある、穴をくぐるように設計されていました。棒には、目盛りが記録されていて、水が出ていくと徐々に、水位が下がり、同時に目盛りも下がることで、時が分かるように設計されています。下部には、注ぎ口がついていて、栓を抜くと、少しずつ水が、漏れるようになっています。
ブタの貯金箱の元祖、撲満(ぼくまん)
さて、三国時代には、董卓(とうたく)の粗悪な銭のせいで、ハイパーインフレになって流通量が激減しますが、後漢の時代には、五銖(ごしゅ)銭という丸い銅銭が存在していました。
銅銭が主流になると、この銭を入れる財布が発明され、使わなかった五銖銭を貯めておく貯金箱が発明されています。それは、素焼きの陶器で、卵型のフォルムをしていて底は平ら上部には、銅銭が入る、横穴が開けられていました。
面白い事には、この貯金箱、入れ口はあっても出し口はありません。貯金したものの、途中で使ってしまうのを防ぐ為に、一度、入れたら、叩き割らないと中身が取り出せないのです。
そう、現在でもある、ブタ貯金箱を簡単にしたような、この古代の貯金箱は、撲満(ぼくまん)と呼ばれていました。満(みつれば)撲(たたく)という意味で最初から、壊す事を前提に造られた、貯金箱である事が分かります。
三国志ライターkawausoの独り言
ブタの貯金箱の元祖が、三国志の時代にはすでに存在していたというのは、調べていても意外な事でした。当時から、お金は大事なモノという意識があり、使い残った分は贅沢しないで、貯めておこうという感覚があったのでしょう。
また、撲満は、かなり小さい事から、大人が使用するものではなく子どもに与えて、貯金する事を教える為に使われたかも知れません。すでに、鳩車という、紐をつけて引っ張ると、車輪の歯車が動き、木製の鳩の首が動くという玩具が存在していましたから、こういう玩具を買う為に、お金を貯めさせていたのかも知れません。
本日も三国志の話題をご馳走様でした。
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